東海村臨界事故による放射能被爆治療の記録
2006年刊行作品。1999年に、茨城県那珂郡東海村で発生したJCO(ジェー・シー・オー)原子力事故(臨界事故)についてのルポルタージュである。
2002年に刊行された『東海村臨界事故 被爆治療83日間の記録』 を改題の上で文庫化したものとなる。
内容はこんな感じ
杜撰きわまりない管理の果てにその事故は起きた。1999年。茨城県東海村JCO。前代未聞の臨界事故により、数多くの職員が大量の放射線を受け被爆する。事故の渦中に居た作業員の被爆量は限界値の二万倍を越えていた。最新鋭の医療設備。国内最高水準の医師、スタッフが集められるが、手探りでの治療の日々は苦難と絶望の連続だった。
実はこの日茨城県に行く予定だった
今振り返ってみても、あり得ない程の酷い事故、というよりは人災だったと思う。東海村の臨界事故は世紀末の日本をまさに震撼させた。
個人的な話になるが、父方の祖母が東海村の近くに住んでいて、自分はちょうどこの日祖母宅を訪問する予定だった。夕方に上野駅に行ってみたら常磐線は止まっていて構内は騒然としていた。祖母に電話してみると(そもそもなかなか電話が繋がらない)、なんだかよくわかんないけど絶対に来ちゃ駄目だとの返答で、その時点ではまったく訳がわからず、帰宅してテレビを見て衝撃を受けた事をいまでも覚えている。
被爆された職員の治療記録
本書はこの事故で被爆したJCO職員83日間の治療記録。あくまでも放射線障害とその治療についてのドキュメントで、臨界事故そのものについての言及は控え目。この点については以下の二冊が詳しいので参考までにリンクを貼っておく。
『あの日、東海村でなにが起こったか―ルポ・JCO臨界事故 』
『青い閃光―ドキュメント東海臨界事故 』
被爆障害の恐ろしさ
致死量を遙かに超える中性子線を受けた瞬間に体内の染色体は崩壊してしまう。染色体が崩壊した細胞は再生しない。細胞が再生しないから、皮膚はボロボロで次第に体液が滲み出てくるし、腸壁もグダグダになって水分も栄養も吸収しなくなる。免疫組織も壊滅状態で、最後は無理矢理生かされているだけの存在と成り果てる。
被爆時点では、なんら変わりなく会話していた患者が、想像を超えた速さで容態を悪化させていくさまは悪夢としか言いようが無い。人類初の稀少なケースであるが故に、言い方は悪いけど金に糸目付けずにモルモットにされていた感があって、本人や家族の心中を察するとやるせない気持ちにさせられる。今回のノウハウが生かされるような日が来ないことを切に祈りたい。