ゾロアスター教を知るために
2008年刊行。筆者の青木健(あおきたけし)は1972年生まれの宗教学者。現在は静岡文化芸術大学の教授。専門はゾロアスター教、イランのイスラーム思想。
個人的な所感だが、日本人が書いた一般人向けのゾロアスター教の本となると青木健の本しかないのでは?と思ってしまうくらい、選択肢が少ない。
青木健のゾロアスター教本としては2019年に上梓された『新ゾロアスター教史』(2008年刊行作品の改訂版)が知られており、書店に行くとだいたいこの二冊が並んでいる印象。
この書籍から得られること
- ゾロアスター教の特徴がわかる
- ゾロアスター教の歴史がわかる
- ゾロアスター教のヨーロッパ世界でいかに受容されたかがわかる
内容はこんな感じ
拝火教、善悪二元論。この言葉だけが先行しがちなゾロアスター教。名前だけは有名でも、ゾロアスター教の実態は意外に知られていない。古代アーリア人の宗教として、ゾロアスター教はいかに発展し、そして衰退を迎えたのか。また、ヨーロッパ世界ではいかにして受け止められたのか。紀元前3000年代から、現代にいたるまで、5000年に及ぶ歴史を概観する。
目次
本書の構成は以下の通り。
- プロローグ
- 第1章 古代アーリア民族と彼らの宗教
- 第2章 原始ゾロアスター教教団の成立――二元論と白魔術の世界観
- 第3章 ゾロアスター教以外の古代アーリア人の諸宗教
- 第4章 ゾロアスター教の完成――サーサーン王朝ペルシア帝国の国教として
- 第5章 ペルシア帝国の滅亡とアーリア人の宗教叛乱、そしてイスラーム改宗
- 第6章 ゾロアスター教からイラン・イスラーム文化/パールスィーへ
- 終章 ヨーロッパにおけるゾロアスター幻想
- ゾロアスター教パフラヴィー文献『ゾロアスターの教訓の書』全訳
アーリア人の宗教としてのゾロアスター教
目次を見ると「アーリア人」という用語が頻出しているのがわかる。Wikipedia先生から引用させていただくとアーリア人はこんな人たち。
アーリア人(英: Aryan, 独: Arier, サンスクリット語: आर्य, ペルシア語: آریا )は、民族系統の呼称。広義と狭義で対象が異なり、広義には中央アジアのステップ地帯を出自とし、南はインド亜大陸、西は中央ヨーロッパ、東は中国西部まで拡大したグループを指し、狭義にはトゥーラーンを出自としたグループを指す。
ものすごく雑にまとめると、古代ペルシャ(現イラン)周辺で活動していた人々となるだろうか。本書では「アーリア人」という民族集団を軸に、ゾロアスター教とはいかなる存在であったのかを読み解いていく。
本書ではエーラーン・シャフル(アーリア民族の土地)というワードが頻出する。ゾロアスター教の歴史はペルシャの歴史とも重なる。アケメネス朝ペルシャ以降の、ペルシャの歴史を宗教の点から伺い知ることが出来る一冊ともなっている。
開祖ザラスシュトラは生年すら明らかになっていない
ゾロアスター教の開祖はザラスシュトラである。しかし彼の生年ははっきりしていない。本書では紀元前1200年~900年頃と推定しているが範囲が広すぎる!信頼できるような史料が残っていないのだろう。イラン地域は、後にイスラム教が勃興し、隆盛をきわめたためにゾロアスター教等、非イスラム系の史料の多くが失われた。
ゾロアスター教は、叡智の主であるアフラ・マズダーと、大悪魔であるアンラ・マンユ。二つの神の二元論が良く知られている。世界にはやがて善悪の最終決戦が起こり、救世主サオシュヤントが救済のために降臨する。二元論、終末論、救世主思想は、後継宗教である大乗仏教や、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に大きな影響を与えている。歴史上でのゾロアスター教は、意外に重要な役割を果たしているのだ。
ササン朝ペルシャの国教
紀元前1200年~900年頃から始まったとされるゾロアスター教だが、いきなり大きな勢力を持てたわけではない。史上初の世界帝国とされるアケメネス朝ペルシャでは、王族は古代アーリア人伝統の宗教を奉じていたし、次に現れたセレウコス朝シリアは異民族による征服王朝、その次のアルサケス朝(パルティア)ではミスラ神への系統が強く、ゾロアスター教はワンオブゼムの存在に過ぎなかった。
ゾロアスター教の優勢が確定的となるのは、ササン朝ペルシャで国教となってからとなる。ササン朝ペルシャでは皇帝一族が拝火神殿の神官出身であり、これがゾロアスター教発展の決め手となった。この時代に経典アヴェスターグ(アヴェスター)の整備が行われ、ザラスシュトラの教えと、古代アーリア人のさまざまな神話が習合していく。この過程はなかなか面白い。
急速なイスラム化
しかしゾロアスター教の栄華の時代は、ササン朝ペルシャの滅亡と共に終焉を迎える。急速に勢力を強めた、新興のイスラム勢力によってササン朝ペルシャは滅ぼされてしまうのである。初期のイスラム勢力は、権力基盤の確立を優先したために、非イスラム教徒に対して、納税さえ行えば信仰の自由を認めていた。そのために、ゾロアスター教はいきなり滅ぼされるようなことはなかった。しかしイスラム教に改宗すればさまざまな現生利益が得られるとわかれば、次第に人々はゾロアスター教から離れていく。
結果としてペルシャ地域では、ごく一部を除いてゾロアスター教の勢力はほぼ駆逐されてしまっている。特定の集団はインドへの移住を進め、この地でパールスィーと呼ばれる独自のゾロアスター教文化圏を構築。彼らは現在も命脈を保っている。
ヨーロッパにおける「再発見」
最終章で書かれている、ヨーロッパにおけるゾロアスター教の「再発見」史が面白かった。15世紀に入り、衰退著しいビザンティン帝国から、ゲミストン・プレトンという大学者がフィレンツェに入りゾロアスター教がヨーロッパ世界で「再発見」される。
ゲミストン・プレトンは、プラトン哲学の源流はゾロアスターに在り!キリスト教以前にゾロアスターはキリスト教的な信仰を説いていた!として「途方もなく神秘的な叡智を説いた東方の賢人」として、ゾロアスターの虚像は独り歩きしていくのである。
やがてニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を書き(ツァラトゥストラはザラスシュトラのドイツ読み)。20世紀に入ってからはナチスドイツがアーリア民族の英雄としてザラスシュトラを担ぐことになる。これには、ザラスシュトラもビックリだったのではないだろうか。