ウクライナ戦争前に書かれたロシア軍事論
2021年刊行。筆者の小泉悠(こいずみゆう)は1982年生まれの軍事評論家。とりわけ、ロシアの軍事、安全保障問題には精通しており、ウクライナ戦争勃発後は頻繁にテレビに登場しているので、ご存じの方も多いはずだ。
本書『現代ロシアの軍事戦略』は、屈指の軍事マニアである小泉悠が、ウクライナ戦争以前に書いていたロシア軍事本として興味深い一冊だ。
Wikipediaの経歴を読んでいると、一般人からは想像も出来ないような濃い人生を歩まれている。なにごとも好きで突き詰めていくと、ここまで専門家として大成できるのかと感慨深く感じたりもする。2019年の著作『「帝国」ロシアの地政学』でサントリー学芸賞を受賞している。
この書籍から得られること
- ロシアの軍事戦略の基本方針がわかる
- ロシアという国にどう対峙すべきか知ることが出来る
内容はこんな感じ
冷戦の終結。旧ソヴィエト連邦の崩壊。NATO諸国による東側諸国の切り崩し。中国の台頭。現在のロシアは経済的にも軍事的にも、かつての超大国の面影はない。それでいて、未だ強大な軍事力を擁するロシアの力の源泉はどこにあるのか。通常戦力だけでなく、宇宙技術、ドローン、サイバー攻撃など、様々な方面で展開されるハイブリッド戦争。「弱い」ロシアの軍事戦略を読み解く。
目次
本書の構成は以下の通り
- はじめに―不確実性の時代におけるロシアの軍事戦略
- 第1章 ウクライナ危機と「ハイブリッド戦争」
- 第2章 現代ロシアの軍事思想―「ハイブリッド戦争」論を再検討する
- 第3章 ロシアの介入と軍事力の役割
- 第4章 ロシアが備える未来の戦争
- 第5章 「弱い」ロシアの大規模戦争戦略
- おわりに―2020年代を見通す
2021年時点でのロシアの立ち位置
まずは冷戦終了後、ロシアがいかにして、旧ソヴィエト時代の勢力基盤を切り崩されてきたかを確認してみよう。
1999年にポーランド、ハンガリー、チェコ。2004年にルーマニア、スロベニア、ラトヴィア、エストニア、リトアニア、ブルガリア、スロバキア。2009年にはアルバニア、クロアチアがNATO入りしている。かつてソヴィエトの衛星国家であった東側諸国が、続々と西側陣営に鞍替えしている状況が見て取れる。
旧東側諸国は、ロシアにとって西側諸国との緩衝地帯だった。「戦略縦深」を失ったロシアにとって、これ以上のNATO拡大は許容できない。今般のウクライナ戦争の要因のひとつには、ウクライナのNATO加盟問題があった。ウクライナがNATO入りすると、ロシアはバルト三国に続いて、長大な国境線をNATO加盟国と共有することになってしまうのだ。
クリミア侵攻でのハイブリッド戦争
2014年、ウクライナの親露政権、ヤヌコーヴィチ大統領を失脚に追い込んだマイダン革命がクリミア侵攻の引き金を引く。この年のロシアによるクリミア侵攻は、これ以上のNATO拡大を許さないとする、明確な意思表示だった。
ロシアのクリミア侵攻は異様な形で実行に移されている。プロバガンダが飛び交う情報戦。僅か10日間、特殊部隊による速戦即決、無血での地域掌握。怪しげな住民投票の実施。既成事実を淡々と積み上げ、通常戦力をほとんど使わずにクリミア半島はロシアの支配勢力に組み込まれてしまった。
物理的な暴力なしに目標達成したクリミア侵攻を、本書では非クラウゼビッツ的な戦争、ハイブリッド戦争と定義する。超大国の地位から滑落し、それでも軍事大国であろうとするロシアの「弱者」としての戦略がそこに垣間見られると筆者は説く。
それでも物理的な軍事力にこだわるロシア
ハイブリッド戦争による勝利。2014年のクリミア侵攻は、驚くほどに鮮やかなものだった。しかし、筆者は、ロシアにおいて、非軍事的手段は戦争の性質そのものを変えるには至らず、軍事力は依然として戦争の主役であり続けていると主張する。
エビデンスとして示されているのが、クリミア侵攻後に行われた、ドンバス地域での作戦だ。ロシアはこの地域にもハイブリッド戦争をしかけたが、クリミア程の成果は得られなかった。親露派の民兵は思ったように制御できず、ウクライナの正規兵には太刀打ちできない。結果的に、ロシアは正規軍を導入することでドンバス地域の実効支配を進めるしかなかった。
実は2000年代の前半のロシアでは、セルジュコフ改革と呼ばれる大規模な軍制改革が実施されていた。国力の低下で定員が維持できなくなり、実体との乖離が進んでいた軍組織をなんとかしようとしたのだろう。部隊数を1,890から、172に削減。10,000人規模の師団中心の編成から、4,000人規模の旅団への組み換え。小規模紛争に最適化した、常時即応できる部隊の整備が進められていたのだ。
しかし、2012年のセルジュコフの失脚と共に、反セルジュコフ派の巻き返しが起こり、小規模紛争から、大規模戦争に備えた体制への変換がなされていく。
ロシアが見据えていた大規模戦争
本書の第四章「ロシアが備える未来の戦争」では、2000年代後半以降、ロシアが行った大規模な軍事演習の内容を精査しつつ、その狙いと目的を読み解いていく。
毎年秋になると、ロシアでは大規模な軍事演習が行われる。2008年には8,000人規模だったものが、2010年には20,000人規模、2014年には100,000人規模にまで一気に拡大している。政治サイドは小規模戦争への即時対応を企図した軍制を考えていても、肝心の軍上層部は依然としてNATOとの対決を意図した大規模な軍事組織の維持を志向していることがわかる。
こうした演習の中には、露骨に日本を仮想敵国としたものもあるようで、読んでいて寒々とした気持ちにさせられた。
「弱い」ロシアはどう戦うのか
最終章では超大国の地位を失った「弱い」ロシアが、いかにこれからの時代を生き抜いていくのか。筆者なりの見解が示されている。敵国の接近を阻止し、出来るだけ自国から遠いところを主戦場とする。伝統的なロシアの「戦略縦深」は、NATOの拡大で失われつつある。それではどうすればいいのか?
損害を限定し、敵の組織的な作戦能力を阻害する能動的防御。イスカンデルなどの地上発射型ミサイルの整備が進む。宇宙開発では、ロシアの技術的な立ち遅れが激しいが、敵の宇宙能力(衛星妨害)を引き下げるための研究が進んでいる。そして、戦術核で通常戦力の劣勢を補う。エスカレーション抑止としての核の使用が、現実的なプランとして考えられている。あらゆる手段を使って敗北を回避しながら戦う。それがロシアの軍事戦略の基本思想であるとして、本書は終わる。
日本はロシアとどう関わるべきか
質、量ともに劣勢なロシアが、西側NATO諸国との軍事的対峙を続けている。それは世界からの孤立と、ロシア経済の停滞を意味している。筆者は2024年のプーチン任期切れ後の対応に注目していた。プーチンが、大統領として再選され引き続き政権を維持するのか、それとも院政的なポジションに引くのか。避けられない国家の衰退を前にして、プーチン政権がどんな選択をするのか。
と、本書では述べられていたのだが、プーチン政権の「選択」については、昨今のウクライナ情勢を見れば明らかだ。プーチン政権は回避できない衰退に対して、想定を超えた手段を取ってきた。
これに対しては日本はどうあるべきか。ロシアは明確に日本は西側諸国の一員と見做している。日本が日米同盟を安全保障の基軸とする以上、ロシアが歩み寄ることはない。日本が何をしてもロシアは変わらないので、国益を譲歩してまで対ロ関係で妥協を図る理由はないと筆者は主張する。ただ、政治と経済は分離すべきで、社会・経済的な部分では関係を深めていくことが可能だとしている。が、これもウクライナ戦争で怪しく名手居る部分でもあり、今後の事態は予測が困難だ。
本書はあくまでも、ウクライナ戦争勃発前に書かれたものなので、可能であれば、現在の戦況を踏まえたロシア考察本を筆者には改めて書いて欲しいところ(たぶん書いてるよね)。
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