ビズショカ(ビジネスの書架)

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『死に山 世界一不気味な遭難事故 ディアトロフ峠事件の真相』ドニー・アイカー

謎に満ちたディアトロフ峠事件を描く

2018年刊行作品。オリジナルの米国版は2013年刊行。原題は「dead mountain」。筆者のドニー・アイカー(Donnie Eichar)はアメリカ人の映画プロデューサー、作家。

施川ユウキの『バーナード嬢曰く。』の五巻で、神林さんが読んでいて面白そうだったので確保してみた一冊である。

内容はこんな感じ

1959年。旧ソヴィエト時代。大学生を中心とした9人の登山グループが厳冬期のウラル山脈で遭難死した。彼らの死はあまりに謎に満ちたものであった。マイナス30度にもなる酷寒の中、彼らは深夜にどうしてテントを出たのか。彼らは軽装で靴すらも履いていなかったのだ。頭蓋骨、肋骨の骨折、失われた舌、切り刻まれた衣服、そして検出された放射線。彼らを襲った「未知の不可抗力」とはいったい何だったのか。

未解決事件の謎に迫る

本書は、通称「ディアトロフ峠事件」と称される未解決の遭難事故の謎を追ったドキュメンタリーである。事件の概要はWikipedia先生を参照のこと。

わたしはWikipediaの未解決事件の項目を読んでいるだけで、いくらでも暇が潰せる人間である。不思議な出来事、謎に満ちた事件、未解決の謎というものは、時として人の興味を惹きつけてやまないものである。

『死に山 世界一不気味な遭難事故 ディアトロフ峠事件の真相』を書いた、ドニー・アイカーもその一人なのであろう。彼は異国で半世紀以上も前に起きた事件の謎に憑りつかれ、私財を投げうって事件の解明に没頭していく。確かにこれは、あまりに奇怪で不可解な事件であり真相が気になる。

以下、関係スポットを雑にGoogleMapでまとめてみた。左端のピンが一行が目指したホラチャフリ山(通称「死の山」)。真ん中のピンがブーツ岩と呼ばれる場所。彼らの追悼碑などが設置されている。右端のピンがディアトロフ峠となる。

地図を拡大していただくと、彼らの出発地であるスヴェルドロフスク(現:エカテリンブルグ)や、中継地であるセロル、イヴデル、ヴィジャイの位置関係が掴める。かなりの高緯度であり、北海道などより遥かに北にある街だ。

日本人にはあまり馴染みのない地域だが、エカテリンブルグはまだしも、イヴデル、ヴィジャイあたりになると、ロシアの中でも相当に僻遠の地といった感がある。

三つの視点から事件を紐解く

この事件に登場する「ディアトロフ峠」は、遭難者パーティのリーダーであったイーゴリ・ディアトロフの名前に由来している。

本書では、ディアトロフたちの視点、遭難後の彼らを捜索する人々の視点、そして現代の筆者視点と三つの立ち位置から事件を多角的に掘り下げていく。

悲劇的な結末がわかっているだけに、ディアトロフグループの旅を追うパートは読んでいて辛い気持ちにさせられた。遭難当時の彼らはとにかく若い。まだ20歳前後なのである。当時の貴重な写真が、本書では豊富に掲載されていて、旅半ばの彼らがことごとく笑顔なのが辛い。

そして、読んでいてうすら寒くなっていくのは、当時の捜索者たちの視点である。次第に明らかになっていく異常な遭難状態。散り散りになり、無残な姿で発見されるディアトロフたち。

ディアトロフ峠事件のさまざまな解釈

で、問題の、ディアトロフ峠の真相についてだが、過去に取り沙汰された無数の諸説の中から、代表的なものを紹介しておこう。

  1. マンシ族の攻撃説(地元の少数民族)
  2. 雪崩説
  3. 強風説
  4. 武装集団説
  5. 兵器実験説
  6. 放射線関連の実験説
  7. 旧ソヴィエト政府が真相を隠している説
  8. エイリアン説

当時、現地では奇妙な光球が観測されていたり、彼らの着衣から放射線が検出されたことで、より解釈の幅が広がっている。第二次世界大戦が終わって、まだ15年しか経過していない時代である。旧ソヴィエト政権下なら何が起きてもおかしくない気は確かにする。まさに謎が謎を読んでいる状態なのである。

結論が無理やりすぎる

筆者は、これらの諸説をひととおり検証しつつ、反証を提示していく。そして、悩みぬいた末に、独自の解釈を最後に提唱している。それが「超低周波音」説である。

ホラチャフリ山のドーム状の構造は、強風が吹き荒れるこの地域にあって、「超低周波音」が発生しやすい条件下にあった。「超低周波音」に晒されることで、ディアトロフグループは精神の平衡を失い、我を忘れてテントを出てしまったのではないかと筆者は結論付けているのである。

科学者の証言を集め、いちおうのもっともらしさは見せてはいるものの、数ある諸説と比べてもエビデンスに欠けており、納得できる結論とは思えない。この事件について、これほどの投資をしたのだから、なんらかの「真相」を提示しないわけにはいかなかったのだろうが、さすがに牽強付会に過ぎるように思える。

謎は謎のままにしておいても、本書は十分に魅力的であったかと考えるのはわたしだけであろうか。