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『感染症の日本史』磯田道史 日本人はいかにパンデミックと対峙してきたか

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歴史から学ぶ、感染症の教訓

2020年刊行。筆者の磯田道史(いそだみちふみ)は1970年生まれの歴史学者。国際日本文化研究センターの准教授。NHKなど、テレビでの出演も多く、顔を見れば「ああこの人か」と思う方は多いのではないだろうか。

感染症の日本史 (文春新書)

代表作としては、2003年に刊行された『武士の家計簿』になるだろうか。

この作品は堺雅人主演、森田芳光監督でなんと映画化されているのだ(新書なのに!)。

内容はこんな感じ

コレラ、天然痘(疱瘡)、麻疹、梅毒、スペイン風邪。日本史において、感染症は多くの人命を奪ってきた。聖徳太子は天然痘で死んでいる。疫病対策として建立された奈良の大仏。江戸期の民間療法。上杉鷹山の感染症対策。そして世界的なパンデミックとなったスペイン風邪。日本史におけるさまざまな感染症対策を読み解きつつ、現代への学びへとつなげていく。新型コロナウイルスが蔓延する今だから問い直したい、日本人の知恵。

目次

本書の構成は以下の通り

  • 第1章 人類史上最大の脅威
  • 第2章 日本史のなかの感染症―世界一の「衛生観念」のルーツ
  • 第3章 江戸のパンデミックを読み解く
  • 第4章 はしかが歴史を動かした
  • 第5章 感染の波は何度も襲来する―スペイン風邪百年目の教訓
  • 第6章 患者史のすすめ―京都女学生の「感染日記」
  • 第7章 皇室も宰相も襲われた
  • 第8章 文学者たちのスペイン風邪
  • 第9章 歴史人口学は「命」の学問―わが師・速水融のことども

日本人と感染症の歴史

人類と感染症は古い付き合いである。日本史上でも、古墳時代、崇神天皇の三輪王権での感染症蔓延が記録に残されている。疫学が発達していなかった時代、日本人はどうやって感染症に立ち向かい、生き延びて来たのか。豊富な事例を提示し、歴史から何を学ぶべきかを本書は問う。コロナ時代の現在、先人たちの歩いてきた道を知ることは、大きな意義がある。

以下、本書の内容を簡単にご紹介したい。

江戸期の感染症対策

江戸時代に入ると感染症についての記録も増えてくる。まず最初に取り上げられているのが滝沢馬琴の随筆集「兎園小説余録(とえんしょうせつよろく)」である。文政三(1820)年に流行した感冒の記録が残されている。

感染症の流行は西から来る。江戸期においても、感染症の発生源は、唯一海外に開かれていた長崎だったのではないか。馬琴の推測がなかなかに鋭い。

この時代にも、感染者に対する隔離政策。ゾーニングは行われていたが、主目的が一般人の保護ではなく「藩主に感染させないこと」であった点は、さすが封建時代といった印象である。

江戸期を通じて13回の大流行があった麻疹(はしか)についての記述も興味深かった。江戸時代の麻疹はおおよそ20年おきに流行る。これは、集団免疫が切れた頃に再流行するのではないかと筆者は推測している。

スペイン風邪の脅威

本書の後半は、歴史上最大級の世界的パンデミックとなったスペイン風邪の言及に充てられている。1918年から1920年にかけて大流行したスペイン風邪は、全世界で数億人が罹患。数千万人単位の膨大な死者を出した。

日本では感染終息までの二年間に三回の波があった。二千万人以上が罹患。45万人が死亡したとされる。

  • 第一波(春の先触れ)が1918年5月~7月
  • 第二波(前流行)が1918年10月~1919年5月頃
  • 第三波(後流行)が1919年12月~1920年5月頃

怖ろしいことに、スペイン風邪は第二波では変異によって強毒化し死亡率がおよそ五倍に跳ね上がっている。

こんな時代でも、当時の日本は大きな行動制限は課されていなかった。罰則中心の西洋と、あくまでも自粛に委ねる日本の違いはこの頃から顕著だったわけである。

患者史を振り返る

20世紀の大流行となったスペイン風邪では、膨大な量の感染記録が残されている。本書では庶民の目線として、京都在住の一般女性の日記を紹介。また、総理大臣原敬や、皇太子時代の昭和天皇、秩父宮などの政治家、皇族関係者。そして、志賀直哉や、宮沢賢治、斎藤茂吉、永井荷風らの文学者の感染記録を紹介している。

当時でもマスクの着用や、ソーシャルディスタンスなどの概念はあったようだが、厳格には適用されていなかったようで、人ごみの中に分け入ってはガンガン感染していて、現代の感覚で考えると空恐ろしく思えてくる。

罹患した際にも、十分な医療設備があるわけではないので、ただひたすらに苦しかったようである。強毒化した第二波の死亡率は5%を超えている。一般人は仕方ないにしても、昭和天皇(皇太子)に感染させてしまったのは、宮内庁的にどうかと思うけど、当時の感覚では仕方なかったのだろうか。

歴史人口学は「命」の学問

最終となる第九章では、磯田道史の師であり、歴史人口学の権威、速水融(はやみあきら)の事績が紹介されている。

歴史人口学の考え方として示されている以下の考え方が強く印象に残った。

そもそも人口とは、その時代にどれだけの人々が生き延びることが出来たか、人生をまっとうすることが出来たかをあらわす指標でもあります。

『感染症の日本史』p239より

とかく、何人死んだ。感染率は〇〇%、死亡率は〇〇%である。と、感染症蔓延期には、無味乾燥な数字ばかりが先行しがちである。しかし、この数字のひとりひとりにそぞれの人生があり、生活があったことを、現代に生きるわたしたちは肝に銘じておくべきであろう。

現在のコロナ禍での体験が、遠い将来の日本人に成功事例となって残るのか。はたまた、無惨な失敗事例として残るのか。現時点では後者のように思えてならないが、先人の体験や苦労に学び、少しでも未来に活かしていく。それが現代人に課された使命なのではないかと考える。

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