料亭菊乃井の三代目が語る京都人論
2002年刊行。筆者の村田吉弘(むらたよしひろ)は1951年生まれの料理人。京都の料亭菊乃井の三代目主人。メディアには良く出ている人らしい。有名人……、なのだと思う(地上波あまり見ないのでよくわからないわたし)。
かつては料理の「鉄人」に(挑戦する方でなく)と請われたこともある程らしいので、相当の大物料理人なのではないかと思われる。
本書は京都生まれ、京都育ちの筆者が説く京都人論である。光文社新書からの刊行。
村田吉弘の著作はレシピ系の書籍が多いが、光文社新書からは本書に続いて、2004年に『京都料亭の味わい方』も刊行されている。こちらでは<大人のアミューズメントパーク>としての料亭の楽しみ方が紹介されている。菊乃井クラスになると庶民にはなかなか縁がない領域になるが(ランチでも普通に1万円クラスだ)、これを読めば少しは気がラクになるだろうか。
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内容はこんな感じ
お茶漬けを出されたら帰らなくてはならない。閉鎖的で外来者に対して心を開かない。言動にウラオモテがある。とかく色眼鏡で見られがちな京都人だが、それは果たしてどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。京都人にして日本料理界きっての論客である筆者が解き明かす京都人の流儀と作法。その考え方の根底にあるものとは……。
歴史の流れの中で自分を相対化する
半分くらいは京都の話というよりは料理屋の話で、自分一代でなく、子々孫々にまで商売を続けていくことの大事さを筆者は説く。定住して長いこと同じ所で商売をし続けているからこそ出てくる発想だと思う。長大な流れの中の自分という相対化が生まれながらにして出来ている感じ。こういう視点は京都という歴史のある土地で、歳月を積み重ねて来ないととなかなか出てこないかもしれない。
とはいえ、商売についての考えかたは、学べるところもあり、普遍的な側面も多い。自分で起業していたりして、商売をやっている方であれば頷ける部分も多々あるのではないかと思う。
一般人として気になるのは、筆者のような「京都」を体現しているかのような大物でなく、市井のふつうの京都人のメンタリティに興味があるかな。同様の「歴史の流れの中で自分を相対化する」ような視点を持っているのかが気になる。