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『ノスタルジックアイドル 二宮金次郎』井上章一 誰が二宮金次郎像を作ったのか?

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『京都ぎらい』筆者が調べた二宮金次郎像の秘密

1989年刊行。筆者の井上章一(いのうえしょういち)は1955年生まれの建築史家、作家、風俗史研究家。現在は国際日本文化研究センターの所長、教授職を務めている方である。1980年代から現在に至るまで多くの著作があるが、「新書大賞2016」で第一位を獲得した『京都ぎらい』であろうか。

ノスタルジックアイドル  二宮金次郎

この書籍から得られること

  • かつて日本中に二宮金次郎の像があった理由がわかる
  • 二宮金次郎の像が同じようなポーズをしている理由がわかる

内容はこんな感じ

かつてはどこの小中学校でも見かけることが出来た二宮金次郎の像。石像、ブロンズタイプ、陶器製、さまざまな材質によって形作られた少年の像がかつては日本全国に存在したのである。薪を背負い書を読みながら歩くという基本スタイルはいかにして確立したのか、これほどまでに流通した原因は何だったのか。意外な真相が明らかにされる。

目次

本書の構成は以下の通り

  • 金次郎のミソロジー
  • 幸田露伴とジョン・バンヤン
  • 国民のアイドルとして
  • 校庭に石像が建った時
  • 銅像の街
  • 銅像のトポロジー―小田原・高岡・大阪
  • 床の間をめざして
  • アイドルが戦地へおもむく時
  • 日本のアブラハム・リンカーン
  • よみがえる金次郎
  • 夢と希望の図像学
  • アイドルの老衰、そして延命
  • クライシスがうみだしたもの
  • 産業考古学としての金次郎
  • 『帝都物語』
  • かくされたアイドル
  • 東京都23区内小学校二宮金次郎像全調査

二宮金次郎像を知っているか!

二宮金次郎って何?という方のために実物例をお出ししよう。こんな感じのものである(以下、写真の撮影者はわたくし)。

富山県高岡市内で発見した二宮金次郎像

富山県高岡市内で発見した二宮金次郎像

少年が背中には薪を背負いながらも、寸暇を惜しんで本を読み勉学に励んでいる。勤労と勉学を奨励する存在として、戦前の価値観にマッチしたのであろう。

昨今はだいぶ数を減らしたが、四半世紀ほど前までは日本の各地に、二宮金次郎(後のの二宮尊徳)の石像が設置されていた。アラフィフ、アラフォー以上の年代の方であれば、ご記憶にあるのではないだろうか。

滋賀県甲賀市で発見した二宮金次郎像

滋賀県甲賀市で発見した二宮金次郎像

わたしは、若い時分に自転車で旧東海道を走破するという試みを行い、その過程で多くの二宮金次郎像を発見した。いつしか撮影がノルマになって、気になってあれこれネット検索を繰り返しているうちに、本書『ノスタルジックアイドル 二宮金次郎』に出会った次第である。

静岡県静岡市内で発見した二宮金次郎像

静岡県静岡市内で発見した二宮金次郎像

こんなマニアックネタを追いかけていた偉大な先人の存在に驚嘆しつつも戦慄を覚えた記憶がある。何事にもマニアというものはいるものなのだ。絶版でなかなか入手出来なかったが、オークションでようやく購入することが出来た!

愛知県名古屋市で発見した二宮金次郎像

愛知県名古屋市で発見した二宮金次郎像

本書では日本各地を席巻した二宮金次郎は、いかなる理由で設置されたのか。豊富な写真、史料と共に紹介していく垂涎の一冊である。

像を作ったのは銅像や石像の業界団体だった!

功成り名遂げた二宮尊徳の方ではなく、何故幼少期の金治郎の像であったのか。ほとんどの像が同じような格好をしているのはどうしてなのか。爆発的な勢いで全国に広まった理由は?なんとなく背後に国家権力の介在を予想して読み進めていたのだが、意外にも像の普及を促進したのは銅像や石像の業界団体であったという結論に驚かされる。

静岡県掛川市で発見した二宮金次郎像

静岡県掛川市で発見した二宮金次郎像

よくもここまでといった多種多彩な裏付け資料の収集もたいしたもので、不毛な知的好奇心を十分に満足させてくれた。大木茂撮影の各地の金治郎像もバリエーションが豊かで、見ていて飽きない。21世紀の現況を踏まえて、筑摩辺りで再刊してくれないだろうか。ハードカバー版しか出ていないのは少々勿体なく思えるのだ。