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『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった日』岡田暁生 コロナ後の音楽を考える

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集えない世界の衝撃を描く

2020年刊行。筆者の岡田暁生(おかだあけお)は1960年生まれの音楽学者。現在は京都大学人文科学研究所の教授。

音楽の危機-《第九》が歌えなくなった日 (中公新書)

本書は第20回の小林秀雄賞を受賞している。

内容はこんな感じ

新型コロナウイルスの蔓延は、音楽業界に大きなダメージを与えた。世界中でコンサートやライブが中止となり、音楽家たちはかつてない苦境に陥っている。近代社会の発展と共に、公共の場に集うことで成立して来たこの業界は今後どうなるのか?ネットによる動画配信はその補完となりうるのか?コロナ禍のいまだからこそ考えたい「これからの新しい音楽」とは?

目次

本書の構成は以下の通り

  • 第1部 音楽とソーシャル・ディスタンス―巷・空間・文化
  • 第2部 コロナ後に「勝利の歌」を歌えるか―「近代音楽」の解体

コロナ禍で変わる音楽の在り方

2020年5月5日、NHK BS1で放映された「外出自粛の夜に オーケストラ・孤独のアンサンブル」をご覧になった方はおられるだろうか?この番組は、コロナ禍で演奏の場を失った、国内クラシック業界の名手たちが自宅からただ一人で演奏を行ったものであった。本来であれば、満員のホールで喝采を浴びながら演奏を行うはずの彼らがそれを許されない。一種、異様な雰囲気の漂う番組だった。

三密回避が叫ばれる昨今、特にクラシック業界は厳しい状況に立たされている。密閉、密集、密接。同じ場に多くの人間が集い、身を寄せ合い楽曲を奏で、それに耳を傾ける。音楽とは古来より三密を前提に成立してきたものであった。その前提を否定された現在、音楽業界はいかにして生き残っていくべきなのか?新しい音楽の在り方は?そんなテーマで書かれたのが本書である。

筆者の岡田暁生は音楽学者だ。それだけに本書は音楽学的側面からのアプローチを踏まえている。逆に言うと、経済面や社会情勢的な部分への言及は控えめである。その点に期待すると肩透かしをくらうかもしれない。

では、以下簡単に各章を紹介しつつ所見を書いていきたい。

音楽の距離感

本書は二部構成となっている。前半の第一部は「音楽とソーシャル・ディスタンス」と題して、近代以降の西洋音楽の成り立ち、音楽の役割、そして音楽における「距離感」の問題について論じられている。

とりわけ興味深いのは第三章の「音楽の「適正距離」」であろうか。

近年はインターネットの発展により、動画配信や、楽曲のサブスクリプション提供が定着し、ライブの場に足を運ばなくても音楽を楽しめるようになっている。ネットで聞く音楽はコロナ禍の今、有効な音楽の代替手段となりうるが、それはあくまでも「録楽」であって「音楽」ではないのではないかと筆者は問う。

本来の音楽とは、奏者たちの息遣いや音の振動、場の雰囲気、観客たちの熱狂、それら全てを包含したものを指すのだとわたしは考える。ネットで配信される「録楽」が、決してライブの「音楽」の代わりになりえないことは、多少なりとも生の音楽に触れてこられた方ならご理解いただけるのではないかと思う。

コロナ後に「第九」は歌えるのか?

第二部は「コロナ後に「勝利の歌」を歌えるか」。まずは「第九のリミット」として、近代音楽の牙城たるベートーヴェンの「第九交響曲」についての考察である。

大編成のオーケストラ。100人を超える合唱団。巨大なホールと、1000人を超える聴衆たち。演奏規模や、集客力、そしてそれを支えるマネジメント、プロモーションの部分まで含めると、まさに近代的市民音楽のアイコンとして「第九」を挙げるのは適切であろうかと思われる。

しかし「Seid umschlungen, Millionen!(抱きあえ百万の人々よ!)」と高らかに歌い上げるこの曲は、コロナを経験した人類にとって躊躇なく歌えるものなのだろうか?人々よ、マスクやアクリルパネルを外して、あなたはまわりの人たちと抱きあえるのか?そう筆者は問うのだ。

新型コロナウイルスは、集まること、共に語らうことを常としてきた人類に、孤独であること、分断されることを強いて来た。コロナ禍が仮に過ぎ去ったとしても、当面はその影響は残るであろう。その中で、コロナ後の音楽として「第九」は適切たりうるのか。これはなかなかにシニカルな問題提起と言える。

コロナ後の「新しい音楽」

続く「音楽が終わる時」では、「第九」のような右肩上がりの音楽。最後に猛烈に盛り上がって終わる音楽でなく、至って静かに終焉を迎える脱「第九」的な音楽の模索が行われる。バッハ以前の、いつの間にか終わっている「帰依型」。古典派以降の「定型型」。突然終わりを迎える「サドンデス型」。そしてポピュラー音楽や、現代のミニマル音楽にまで思いを馳せていく。

そして次章の「新たな音楽を求めて」なのだが、ここでは従来の一糸乱れぬ正確無比な「揃った」音楽へのアンチテーゼとして、「ズレ」てもいいんだ!と主張する音楽の数々が紹介されていく。このパートは、少々脱線し過ぎなのではと思われないでもないのだが、個人的にはとてもワクワクしながら読んだ箇所である。

いくつかを動画と共にご紹介しよう。

ラ・モンテ・ヤング(La Monte Young) Composition 1960 #7 

連続音がただひたすら鳴っているだけ!

リゲティ・ジェルジュ・シャーンドル(Ligeti György Sándor) 100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック(Poème Symphonique For 100 Metronomes)

100台のメトロノームの饗宴。

 

ルイ・アンドリーセン(Louis Andriessen) 労働組合(Workers Union) 

一定のフレーズをひたすら繰り返していく。リズムは全てユニゾンだが、各楽器の音程は自由であり、リズムは合っているのに壮絶な不協和音が延々と続く。Workers Union(労働組合)の鉄の結束を表現。

テリー・ライリー(Terry Riley)  in C

最初は同じように演奏するが、次のフレーズに移行するかは個々の奏者に委ねられる。一人が移行したら他の奏者も徐々に同じフレーズに移行。全員が揃ったら、次のフレーズに進むことが許される。演奏するフレーズがズレても和音は合うように作られており、不快な響きにはならない。

フレデリック・アンソニー・ジェフスキー(Frederic Anthony Rzewski) パニュルジュの羊(Les Moutons de Panurge)

65の音符を1、1・2、1・2・3と順につなげていき、1~65まで続いたら今度は逆に、2~65、3~65と最初の音符を削っていく。次第にわけがわからなくなり、各人のフレーズがズレてくるので、その絶妙なズレ具合を楽しむ音楽。

ヤバい、どれも超楽しい!!

章のまとめとしては、せっかく(という言い方は不謹慎だが)のコロナ禍なのだから、こういうことでも起きなければ、生じ得なかった音楽が生まれても良いのではないかと結ぶ。人々の間に断絶を強いる、コロナに打ち勝つ音楽が、今こそ登場すべきではないかと筆者は主張する。

新しい音楽の場

最終章では「場の更新」として、コロナ後の時代にはそれに見合った、あたらしい音楽の場が必要なのではと主張が展開されていく。

18~19世紀の西欧で始まった、密閉空間に行儀良く観客が整列する音楽空間。運用するのに効率が良く、収益性も高いスタイルだが、このようなコンサートホール型の場は、もはやコロナ後にはそぐわないのではないか。

筆者は、コロナによる断絶を逆手に取って、空間的な距離を有意味化できないか、と、「距離を取らなければできない表現領域」の模索を進めていく。

一例として挙げられていたのがこちら。

カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen) ヘリコプター弦楽四重奏曲(Helikopter-Streichquartett)

四人の奏者がそれぞれヘリコプターに乗り込み、ヘッドフォンで各自の演奏を聴きながらアンサンブルを試みる。まさに「距離を取らなければできない表現領域」(笑)。

また、「第九」的な、絆を確認したり、感動消費型の音楽に対しても疑義を呈す。コロナ後だからこそ、閉じない、多くの人に開かれた音楽があっても良いのではないかと。

希望はあるのかな?

冒頭に書いた、「孤独のアンサンブル」には続篇がある。

「孤独のアンサンブル」は、「オーケストラ・孤独のアンサンブル〜希望編」「オーケストラ・明日へのアンサンブル 孤独の奏者たち奇跡の共演!」と続く。この番組では、孤独に演奏していた奏者たちが、最後には同じステージに集いアンサンブルを奏でる。しかし、そこに未だ観客の姿は無い。希望を見せつつも、その道が険しいことが暗示されている。

この流れは、従来の音楽の路線に回帰しようとするものであり、『音楽の危機』で岡田暁生が主張する「新しい音楽」とは一線を画するものであろう。「孤独のアンサンブル」に登場するのは既に実績を持った一流の奏者たちばかりであり、しかも媒体は旧勢力の代表格であるテレビ番組である。既存の勢力からは新しい潮流は出てこないのないかとも思えてしまう。

わたし的には、テレビに出てこないような若い世代の新しい提案を待ちたいところ。中世のヨーロッパで猖獗を極めたペスト禍の後には、ルネサンス音楽の大輪の花が開いた。厳しい抑圧の中にある音楽業界だからこそ、コロナ後の新しい展開に希望を持ちたい。

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