平安時代の後期を概観
2024年刊行。筆者の榎村寛之(えむらひろゆき)は1959年生まれの研究者。三重県立斎宮歴史博物館で学芸員を務めている方。
中公新書としては2017年の『斎宮―伊勢斎王たちの生きた古代史』、2023年の『謎の平安前期―桓武天皇から『源氏物語』誕生までの200年』に続く、三冊目の作品となる。
『謎の平安前期』が平安時代の前半200年を概観した一冊だったが、今回の『女たちの平安後期』は、後半の200年を概観する一冊となっており、両者を通読することで、平安時代の全体像がつかめる構成となっている。『謎の平安前期』とセットで読むことをお薦めしたい。
内容はこんな感じ
藤原詮子(東三条院)に、始まり、藤原彰子(上東門院)で絶大な権力を持つに至った女院と呼ばれる新たな権威。摂関体制が崩れ、白河院による院政が始まる過程で、女院の在りようも変わっていく。院の膨大な遺産を継承し、源平の合戦でも第三勢力として独自の勢力を持っていた女院とは、果たしていかなる存在だったのか。
目次
本書の構成は以下の通り。
- はじめに
- 平安時代後期二〇〇年の年表
- 序章 平安後期二〇〇年の女人たちとは
- 第1章 寛仁三年に起こった大事件―“刀伊の入寇”
- 第2章 彰子が宮廷のトップに立つまで
- 第3章 道長の孫、禎子内親王が摂関政治を終わらせた
- 第4章 貴族と武者と女房と―“斎王密通事件”と武士
- 第5章 躍動する『新猿楽記』の女たち
- 第6章 院政期の中心には女院がいた
- 第7章 源平の合戦前夜を仕切った女性たち
- 第8章 多様化する女院と皇后、そして斎王たち
- 第9章 究極のお嬢様―八条院〓子内親王と源平合戦
- 第10章 それから―鎌倉時代以後の女性の力
- おわりに
- あとがき
紫式部が預言した女院権力
まずはWikipedia先生で女院の意味を確認。
女院(にょいん/にょういん)は、三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度である。「院」はすなわち太上天皇のことを指し、「女院」とはそれに準ずる待遇を受けた女性のことである。
現在の大河ドラマ『光る君へ』で言うと、藤原詮子(東三条院)は円融天皇の女御で、藤原彰子(上東門院)は一条天皇の皇后(中宮)。彼女らは皇太后だから女院となったパターン。いずれも夫に先立たれている。バックに藤原氏(道長系)の後ろ盾があったこともあり、大きな権力を持った。この二人が女院の先駆け。
本書で指摘されてなるほど思ったのだが、『源氏物語』で紫式部は女院権力を描いている。桐壺帝の寵姫だった藤壺は、源氏との不義の子冷泉帝が即位すると国母となり、源氏の後ろ盾の中で相応の力を持っていた。紫式部はこういうところも細かにフォローしてるのね。
変わりゆく女院のすがた
三条天皇の皇后(中宮)だった藤原妍子(道長の娘で彰子の妹)が産んだ子が禎子(ていし)内親王で、皇子の誕生を期待していた道長をがっかりさせていた。しかしこの禎子内親王が、後朱雀天皇の皇后となり、史上三人目の女院になるのだから歴史は面白い。道長の後継となった、息子の藤原頼通は嫡妻を大切にするあまり、子が少なくて入内できる娘が足りなくなり、外戚になることができなかった。これより百数十年ぶりに藤原氏を外戚に持たない後三条天皇が誕生。後三条の母親が禎子内親王だ。
女院の在りようがガラッと変わるのが媞子内(ていし/やすこ)親王(郁芳門院)で、彼女は白河院の再愛の娘。媞子内親王白河院のゴリ押しで、堀河天皇の准母となり、配偶関係のない状態で中宮にまでなった。堀河天皇と媞子内は同じ母親から生まれた姉弟なのだからもうめちゃめちゃである。
源平合戦時代の女院、暲子(しょうし/あきこ)内親王(八条院)は、鳥羽天皇の娘で、鳥羽院の膨大な遺産を継承し絶大な経済力を誇った。暲子内親王は甥の二条天皇の准母となり、女院となったが、皇后になる過程すら経ていない。暲子内親王はもちろん政治の素人で、当時の二条天皇、後白河院いずれもが権力を確立できていなかったこともあり、平清盛の台頭を招いた。
平安社会の終わり、男性中心の中世社会へ
暲子内親王(八条院)は、源氏、平氏いずれにもまさるとも劣らない経済力を備えていたが、政治力を行使することはなく、時代は武士の世へと変わっていく。暲子内親王(八条院)の莫大な遺産は、順徳天皇、後鳥羽院に継承され、後に後鳥羽院が承久の乱を起こすための資金源となる。
鎌倉幕府で女院に相当する存在といえば、源頼朝の妻であり、二代頼家、三代実朝の母となった北条政子だが、彼女のような特異な存在はあくまでも一代限りで終わり、同様の力を持つ女性は登場しなかった。
前作『謎の平安前期』と、今回の『女たちの平安後期』で、筆者は女性が権力を揮うことができた平安時代の400年を概観した。本書のように、少し変わった視点で平安時代を俯瞰して見られた点で、非常に満足度の高い二冊だった。