晩年の阿部謹也が追い求めた「世間」論
1995年刊行。筆者の阿部謹也(あべきんや)は1935年生まれの歴史学者。2006年に物故されている。阿部謹也は一橋大学の出身で、学長まで務めた人物。
専攻はドイツ中世史で一般人向けの著作が多数ある。中でも『ハーメルンの笛吹き男』 はミステリとして読んでも一級品の面白さなので、未読の人は是非読んでみて欲しい。未だに書店では平積みされていることも多い名作である。
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内容はこんな感じ
昔から日本人の生き方を規定してきた「世間」。日本人は「社会」の中で生きているのではなく「世間」の枠組みの中で生きているのではないか。古の万葉集から、中世は吉田兼好、真宗教団、江戸期では井原西鶴、明治からは夏目漱石、そして大正昭和は永井荷風と金子光晴と各時代を代表する文献の中から、日本人にとって「世間」とは何であったのかを読み解いていく。
「社会」と「世間」
明治に入り、キリスト教や哲学といった精神的バックボーンが存在しないまま「社会」の概念だけが輸入という形で入ってきた日本。強固な個人という観念を持ち得ないこの国では「社会」ではなく「世間」こそが生き方を規定してきたのでは?という論点で、古今の名作を例に挙げながら日本人にとっての「世間」を解き明かしていくというのが本書の趣旨。
各年代の名著にツッコミを入れていくわけだけど、一部の文学作品だけ例にとって判断してしまっていいのかという根本的疑問がつねに付きまとう。あとがきで「素材を提供したに過ぎない」とは書いてあるものの、なんだか誤魔化されているようで据わりが悪い。あとは自分で考えろということなのか。著者に取ってこのテーマはまだまだ語り尽くせぬものらしく、関連書籍がその後多数出ているようなのでおいおい読んでみるかね。
阿部謹也の「世間」に関する著作はこちら。けっこうな数が出ている。
- 『西洋中世の愛と人格 - 「世間」論序説』(1992年)
- 『「世間」とは何か』(1995年) 本書
- 『世間を読み、人間を読む- 私の読書術』(2001年)
- 『学問と「世間」』(2001年)
- 『日本人の歴史意識 - 「世間」という視角から』(2004年)
- 『「世間」への旅 - 西洋中世から日本社会へ』(2005年)
- 『近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本』(2006年)