縞模様好き必読の一冊
1993年刊行。オリジナルのフランス版の原題は『L' étoffe du diable』で1991年刊行。筆者のミシェル・パストゥローは1947年生まれのフランス人研究者。紋章学を主要な研究ジャンルとしているが、幅広い分野で活躍をしている人物である。
その後、白水社の新書レーベルである、白水uブックス版が2004年に刊行されている。この際にタイトルが『縞模様の歴史 悪魔の布』と主題と副題が入れ替わっている。
単行本版にしても、uブックス版にしても少し前の書籍なので、現在は古本で手に入れるしかないかもしれない。
内容はこんな感じ
ヨーロッパ社会において、古来、縞模様(ストライプ)は侮蔑と差別の象徴であった。旅芸人、道化師、異端者に刑吏たち。彼らは縞の服を用いることを強いられ、区別され除外される存在とされた。しかし中世から、近代に入り、その意味するところは次第に変貌を遂げていく。千数百年にわたる、縞模様を巡る文化の変遷を読み解いた一冊。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 第1章 稿模様の衣装をつけた悪魔
- 第2章 横縞から縦縞へ、そして逆転
- 第3章 現代の縞模様
差別のルーツは旧約聖書「レビ記」に
本書は以下の絶妙な掴みから始まる。
二種で織った衣服を身に着けてはならない
「レビ記」口語訳19章十九節より
二種とあるが二色ではない。縞模様とも書かれていない。素材が問題なのか、色彩の問題なのか。重ね着をさしているのではないのか?いかようにも解釈できる記述である。しかし、この記述は後に中世のキリスト教会において、差別的な意匠として縞模様が用いられる根拠とされていく。
縞模様を侮蔑の対象とみなす考え方は、千年頃から西欧では定着し、罪人や刑吏など賤業と見做された人々、道化師や吟遊詩人、異教徒のシンボルとされていく。また、雑種や庶出、邪悪さや逸脱、異質性を表すものとしても敷衍されていく。
面白いのはこれほどまでに縞模様が差別の象徴となりながらも、当時の西欧社会の紋章には頻繁に縞模様が用いられていることだろうか。筆者の調査では、100万を超える紋章のうち、15パーセントには縞模様が含まれているのだという。紋章におえる縞模様は厳密には別の意匠とみなされていたようで、このあたりの曖昧さがなんとも面白いところである。
従属の象徴から、高貴なる縞模様、そして革命の象徴に
中世から近代へと時代が進むにつれて、縞模様の意味合いは次第に変遷を遂げていく。従僕や召使、奴隷の意匠に用いられはじめるのである。
そして、15世紀に入ると、意外なことに「高貴なる縞模様」として縦縞模様が王侯貴族などの上流階級で大流行するのだ。縦縞模様を着た、フランス王フランソワ一世のこの肖像画は、ご覧になった方も多いのではないだろうか。
縞模様をめぐる、さらなる大きな変化はアメリカ独立戦争に起こる。独立十三州の掲げた旗は赤白の縞模様をあしらったものであり、反イギリス、自由と新思想を象徴するものとなっていくのである。
この流れは、フランス革命が「自由、平等、友愛」の意味を込めた三色旗を採用したことでより決定的になっていく。縞模様は既成の秩序への反抗のシンボルとされたのだ。
多様化する現代の縞模様
とはいえ、日常着としての縞模様を人々が身に着けるようになったのは19世紀も後半に入ってからのことらしい。西洋社会では古来から、肌に身に着けるものは「白か生成り」とされていた。白から色彩への移行の中継ぎとして縞模様やパステルカラーが用いられたという指摘は面白い。当時流行し始めた海水浴。海辺で用いられる水着に、「透けにくい」という観点から縞模様が採用されていく流れも実に興味深いものがある。
現代の縞模様は誰もが気軽に取り入れることができるファッションであり、そこに差別や蔑視の観念が含まれることは少なくなっている。ただ、軽蔑的な縞模様が全くなくなったわけではなく、危険の喚起であったり、疎外の記号として用いられている。
本書の最後に筆者は、
実際、縞模様は、真に自然のしるしというよりは、文化的なしるし、人間が環境に刻みつけ、物に書き込み、その他の人間に強制するしるしである。
『悪魔の布 縞模様の歴史』p120より
と述べる。分類し、検査し、確認、検閲するための手段として、縞模様の特性は残り続けるであろうとしている。