鉄道を通して見た日本人論
2001年に交通新聞社より『定刻発車 日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』として刊行された。
新潮文庫版は2005年に登場。文庫化にあたり改題、加筆、改稿が施されている。
刊行前から決まっていた事なのだろうが、文庫版の発売とほぼ同時期にJR西日本福知山線の脱線事故が起きているのはなんとも奇妙な符合である。
筆者の三戸裕子(みとゆうこ)は1956生まれの経済・経営ライター。もっとたくさん著作があっても良さそうな方だが、意外にも著作は本書一作のみである。
この書籍から得られること
- 日本の鉄道が時間通りに運行されているのは何故なのかがわかる
- 日本人の時間についての意識がわかる
内容はこんな感じ
一列車辺りの遅延は1分未満。世界でも稀な精度で運行している日本の鉄道システム。定刻通りに発車し、定刻通りに到着することを前提に動いている社会では、僅か数分の遅延すら許されない。膨大な数の車両を遅滞なく運行させる巨大システムはどのように作られているのか。そして過剰なまでの正確さを求める社会はどのようにして成立したのか。システム、環境両面からその謎に迫る。
目次
本書の構成は以下の通り
- 環境(正確さの起源)
- 仕組み(驚異の運転技術)
- 正確さを超えて(日本の鉄道はこれからも正確か?)
日本人にとっての「時間」とは
本書は二部構成となっていて、第一部では定刻発車という日本独特の文化を生成するに至った環境について述べている。時間を守って行動することが当たり前の生活規範になっている日本人。参勤交代制度や、時鐘、梵鐘等による時報システムの存在、その根元を江戸時代以前にまで遡って捉えようとする着眼点がとてもユニークと言える。
正確さを維持するシステム
そして第二部では、秒刻みで正確さを争うこの国の鉄道システムがどのようにして作られ、維持されているのかを明らかにしていく。日本の鉄道が正確さと安全を守るためにどれほどの膨大な手間とコストをかけているか。保線、ダイヤ作成、車両整備、人員育成、本書で紹介されている具体例はその一部に過ぎないのだろうが、そのあまりの奥の深さ、きめの細かさに読んでいて気が遠くなってきた。
2005年のJR西日本の事故については乗務員の教育がどうだとか、利益追求の企業姿勢がどうだとか、JR西日本は散々に叩かれていたけど、その根底には数分の列車の遅れすら許容出来ない日本人の、国民性があるわけで、これは一朝一夕になんとかなるものではないだろうなと、本書の刊行から10余年を経た現在でもそう思わざるを得ない。
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