河出文庫古典新訳コレクションから!
2016年刊行作品。池澤夏樹(いけざわなつき)による個人編集版「日本文学全集(全30巻)」の第3巻として刊行された。『土左日記』以外に、『竹取物語』『伊勢物語』『堤中納言物語』『更級日記』を収録していた。
池澤夏樹版「日本文学全集」は、2023年より河出文庫の古典新訳コレクションとして、単巻売りが始まっている。河出文庫版の書影はこちら。
巻末には全集版のあとがきに加えて、文庫版のあとがき、更に西山秀人(にしやまひでひと)による解題が収録されている。
内容はこんな感じ
平安時代。歌人として名高い紀貫之は四年間の土佐国司の任を終え、海路、都に向かう帰途に就いた。貫之は五十五日の船旅で起きた出来事を、当時の男性が用いなかったかな文字で日記として書き残す。様々な人々との出会いと別れ。海賊への不安。幼き子を亡くした親の哀しみ。都への望郷の念。そして帰京。そこで貫之は何を見たのか。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 貫之による緒言
- 土左日記
- 貫之による結言
- 全集版あとがき いま書かれつつある言葉
- 文庫版あとがき 彼の姿も消える
- 解題 西山秀人
土佐?土左?
『土佐日記』ではなくて『土左日記』なの?タイトルを見てまずそんな疑問が思い浮かぶ。巻末に収録されている西山秀人の解題によれば、上代までは土佐国は「土左」と表記されていたらしい。藤原定家(ふじわらのていか/さだいえ)の持っていた『土左日記』の伝本でも「土左」表記だったのだとか。紀貫之(きのつらゆき)の時代にはもう「土佐」表記だったようだが、西山秀人はあえて架空感を演出するために「土左」表記を選択したのではと自説を述べている。
日本史上屈指の歌人×芥川賞作家
作者の紀貫之は866年もしくは872年の生まれとされ、945年に没。平安時代の前期から中期にかけて活躍した人物で、日本史上屈指の歌人として知られる。『古今和歌集』の撰者の一人であり、四百を超える和歌が勅撰和歌集に収録されている。
しかしその位階は最高で従五位上(『土左日記』執筆時は従五位下)と、決して高いものではなかった。歌人としての名声とは対照的に、中級貴族として宮働きに奔走せざるを得ない部分も多かった(公職が無い期間も相応に)。理想と現実に翻弄される現代のわたしたちから見てもちょっと共感できる側面がある。
一方、訳者の堀江敏幸(ほりえとしゆき)は1964年生まれの小説家、文学者。早稲田大学の文学学術院の教授。2001年に『熊の敷石』で芥川賞を受賞している。堀江敏幸は『土左日記』の現代語訳にあたり、前後にオリジナルの「貫之による緒言」と「貫之による結言」を置いている。古典の門外漢としては、こうした補足的なテキストは理解の助けとなるのでありがたかった。
訳者は数多の先例が存在する『土左日記』の現代語訳に取り組むにあたって、作中の私が読者に対して注釈を施していく、メタフィクション的な構成を選択している。随所に紀貫之によるセルフツッコミが入るわけだ。これによって、読みやすさ、わかりやすさが増し、雰囲気もふわっとした不思議なテイストの作品になっている。
和歌が文中に溶け込む
本作には紀貫之による57首の和歌が収録されている。一般的なイメージでは、和歌を詠むシーンでは、和歌の部分だけ改行が入って、独立した行として表示されることが多いのではと思うのだが、本作では通常の文章中に改行なしで和歌が挿入されている。本作の中では、その理由として以下が示されている。
うたをうたとして独立させず、文に溶け込ませること(中略)こちらの意識と読み手の意識の境なく自由に出し入れするには、うたと地の文の境界線をなくしてしまうのが、最も無理のない、また、いまの私が試みうる作り話の、唯一の姿である。
『土左日記』p26より
ちなみに、和歌の直後には、和歌についての訳文も記されているので、読んでいてスムーズに頭に入ってくるのは嬉しい。
亡き子をしのぶ歌
『土左日記』で再三語られるのは、子を亡くした親の哀しみだ。京を出るときは元気だったのに、土佐の地で子どもは亡くなり、帰路の船にその姿はない。家族が増えて帰る家人もいるだけにその対比も切ない。幼き子を亡くした切なさが、さまざまな表現で執拗なまでに何度も何度も繰り返される。紀貫之とその子の関係性は最後まで明かされず、複眼的な視点で描かれる子どもの姿は、しっかりとした像を結ばない。虚実の入り混じったメタな構成がもたらす、つかみどころのない喪失感、寂寞感が印象的なのであった。
紀行文としても楽しい
随所に挿入される和歌の素晴らしさ、亡き子への想いと共に、本作のもう一つの魅力は紀行文としての楽しさだ。紀貫之は土佐から京都までの帰途を海路で帰った。その旅程は55日もの長期に及ぶ。風がなければ船は進まないし、嵐が来れば先に進めない。訪れた先では、国司の豊かな懐を狙ってさまざまな人々がたかりに訪れる。海賊の出現も噂されており、当時の人間としては不安はいかばかりだったかと思う。平安時代の非日常が大変出来るという意味でも、本作は楽しく読めるのではないだろうか。