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『若者殺しの時代』堀井憲一郎 若者であることが決して得にはならない時代

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ゼロ年代に書かれた「若者」論

2006年刊行。筆者の堀井憲一郎(ほりいけんいちろう)は1958年生まれのライター、コラムニスト。思いっきりバブルを謳歌出来た世代だな。テレビやラジオにも時々顔を出していた人物らしい。「週刊春秋」誌に連載されていた「ホリィのずんずん調査」なる企画をベースに再構成されたの本書である。

若者殺しの時代 (講談社現代新書)

内容はこんな感じ

1983年にクリスマスは「発明」された。1987年にディズニーランドが開園。若者たちから富を収奪するシステムが着々と整備されていく。1991年にはトレンディードラマが一世を風靡。そして携帯電話の登場は人間のライフスタイルを根底から変えてしまった。若者であることが決して得にはならない時代はどのようにして到来したのか。数々の流行事例を追いながら読み解いていく。

目次

本書の構成は以下の通り

  • 第1章 1989年の一杯のかけそば
  • 第2章 1983年のクリスマス 
  • 第3章 1987年のディズニーランド
  • 第4章 1989年のサブカルチャー
  • 第5章 1991年のラブストーリー
  • 第6章 1999年のノストラダムス
  • 終 章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱

一世を風靡したキーワードを軸に当時の世相を斬る

いっぱいのかけそば、クリスマス、ディズニーランド、トレンディドラマ、マンガ、ノストラダムス、携帯電話、一世を風靡したキーワードを軸に当時の世相を振り返っていく構成となっている。

頼りになるのは当時の「anan」や「Popeye」などの若者向け雑誌。これらを片っ端から調査してどの段階で、クリスマスが聖なる恋人達の祭典になったのかを真面目に検証してみたりする。バカバカしいけどけっこう読み物として面白い。歴代月9ドラマを見て、携帯電話の普及度合いを調べる企画も興味深かった。ちなみに最初に月9ドラマで携帯電話を使ったのは石田純一。肩掛け型の巨大な車載電話だったらしい(笑)。

「若者」であろうと団塊の世代

戦後、初めて「若者」としてふるまうことを許された団塊世代。彼らがいつまでも「若者」であろうとし続けたが故に、それより下の世代は「若者」にすらなれない奇妙な存在になってしまったという読みなんだけど、なんでもかんでも団塊のせいにしてしまうのはいかがなものかと……。

常に利益を上げて成長しつづけなくては、喰っていけないという資本主義的な強迫観念は自分らの世代にもあるから、これからも不毛な焼き畑農法的な大量生産大量消費の時代は続いていきそう。まあ、少し下の超氷河期世代、さらにその下のゆとり世代に入るとどうなるかわかんないけど(これって偏見?)。

「若者」に逃げ場はあるのかな?

一つの体制、一つの時代が続くのは、時代を切り開いた第一世代が死に絶えるまで(60年~75年)。戦後60年を経たこの国は、そろそろ、新しい時代に移行していくのではないか。でもこの先の未来は絶望的なものになりそうだ、うまく逃げてくれ、と筆者は最後に締めくくっている。でも、逃げろって言われても、逃げ場は無いよなあ。

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