『誇り』に続く「旧ユーゴサッカー三部作」の第二弾
2000年刊行。木村元彦(ゆきひこ)の二作目の作品となる。
先週感想を書いた『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』の続篇的な作品である。後日刊行された『オシムの言葉』と併せて「旧ユーゴサッカー三部作」と称されている。
ちなみに、本作の表紙に登場しているのは、Jリーグの名古屋グランパスで活躍し、監督も経験したドラガン・ストイコビッチ(ピクシー)。サッカーでは試合中の政治アピールはもちろん禁じられているが、そのタブーを冒してまで、NATOのユーゴスラヴィア空爆に抗議表明を行ったシーンである。
文庫版は2001年に登場。文庫化にあたって、100ページもの追記がなされている。
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更に2018年に新版が登場しており、旧版刊行時以降の十余年分の実情が追記されている。
内容はこんな感じ
かつて欧州随一の強豪であったユーゴスラヴィア代表は、相次ぐ共和国の独立で次々と有力選手を失っていく。国際制裁によるワールドカップ、欧州選手権への出場権剥奪。癒しがたい傷跡を残した血で血を洗う内戦。戦後も未だ終わらない民族抗争。そして長期化するコソボ紛争に対し、NATOは空爆による武力制裁を敢行する。
相変わらず筆者の行動力が凄い
この筆者の行動力には本気で呆れた。セルビアのみならず、モンテネグロ、スロヴェニア、クロアチア、マケドニアそして、紛争の只中にあったコソボ解放軍(UCK)の占領地域にまで潜入している。いつ、殺されてもおかしくないようなところだ。
ユーゴ内戦の元凶とされ、セルビア(ユーゴスラヴィア)は世界中から悪者扱いされた。スロヴェニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立し、ユーゴスラヴィア代表は1998年の時点ではセルビア、モンテネグロの二共和国のみで構成されるようになっていた。
先日の『誇り』がドラガン・ストイコビッチに焦点を当てたものだとすれば、こちらは同時期のユーゴ代表に焦点を当てたもの。時期的には、セルビア内で、コソボ自治州への弾圧が強まり、NATOによる空爆制裁の可否が取りざたされていた頃である。
ナショナリズムがフットボールに直結する世界
日本では気軽に代表の試合は国と国との代理戦争だなどと言ってしまいがちだが、その言葉がまったく冗談にならないのがユーゴスラヴィア代表だろう。ナショナリズムがストレートにサッカーと結びついてしまった最悪のケースだ。筆者は自らの足で各地を訪れ、選手や市井の人々の声を拾い上げていく。
故郷の家族や友人が日夜空爆に曝されている中で、海外でプレイを続けなくてはならなかったユーゴの選手たち。国が別々になり故郷へ帰れなくなったミハイロビッチ。彼は地元の英雄から一転して憎悪の対象となった。世界で通用する実力を持ちながら、コソボのアルバニア人であったが故にキャリアを棒に振ったトビャルラーニ。そして内戦時に率先して銃を取り、他民族の虐殺に参加したサポーターたち。通常のテレビや新聞の報道だけでは決して知ることが出来ない貴重な証言集となっている。作中の「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」はまさに至言であろう。
前作の『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』の感想はこちらから。