太平天国を概観する
2020年刊行。筆者の菊池秀明は1961年生まれの東洋史学者。専門は中国の近代史。現在は国際基督教大学の教授職にある方である。
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七冊の著作があるが、その全てが中国、清の時代を取り扱っており、特に「太平天国」をメインテーマとしている。「太平天国」史のエキスパートとも言える人物が、満を持して送り出したのが本書である。
内容はこんな感じ
中国、清朝の時代。1851年。広東省の貧しい客家出身の洪秀全は、キリスト教をベースとした上帝(ヤハウェ)を信仰する組織太平天国を興す。清朝末期の混乱に乗じ、瞬く間に巨大組織へと成長した太平天国は南京を占領。洪秀全は自らを天王と称し、清朝に対して叛旗を翻す。十五年に及ぶ太平天国の勃興から滅亡までを概観する。
清朝末期の大規模叛乱
本書では清末の宗教叛乱、太平天国(たいへいてんごく)の実態を概観していく。
広東省の貧しい客家出身であった洪秀全(こうしゅうぜん)は、科挙に失敗し、夢の中で上帝(ヤハウェ)の啓示を受け信仰に目覚める。折しも当時の清朝は、アヘン戦争でイギリスに敗れ国力の衰退が著しかった。庶民への課税は重くなり、下層民の不満をうまく拾い上げたのが太平天国であった。
清朝は満洲人が築いた異民族による征服王朝である。そのため太平天国は、滅満興漢(めつまんこうかん)をスローガンとし、虐げられてきた漢民族の自尊心を煽った。
太平天国の特異性
太平天国は独自の解釈でキリスト教を中国風に読み替えた。当時の中国では儒教や、道教など多数の神を信仰していたが、太平天国は唯一神である上帝への信仰を強制した。
そして皇帝とは、上帝(ヤハウェ)のことであるとして、人間が皇帝位に就くことを否定。洪秀全は自らを天王とし、配下の五人を、東王、西王、南王、北王、翼王に封じた。筆者は、この諸王の配置について、中国王朝では珍しい分権志向の国家となりえる可能性あったと指摘している。
また、太平天国では、男女別々の生活の強制、纏足の禁止、女性の科挙受験、共産主義的な天朝田畝制度の採用など、当時としては画期的な政策を展開した。しかしこれらの政策の多くは軌道に乗らなかったようだ。
シャーマンに支配された国家
太平天国で特筆すべきは、シャーマン楊秀清(ようしゅうせい)の存在である。霊媒の素養があった楊秀清は上帝(ヤハウェ)を自らに降ろすことが出来た。「天父下凡」と称されたこの行為は天王洪秀全に承認され、太平天国の政策決定に大きな影響を及ぼす。楊秀清は東王に封じられ、太平天国のナンバーツーになり上がるのである。
しかし「天父下凡」は乱発され、楊秀清による恣意的な運用が目立つようになる。末期には上帝に憑依された(とされる)楊秀清が、洪秀全に暴力を振るうような事態も常態化する。洪秀全は楊秀清による簒奪を恐れ、最終的には粛清を行う。結果として複数の王が並び立つ権力の分散は廃され、洪秀全に権力が集中する。
太平天国の限界
本書で興味深かったのは太平天国と諸外国(特にイギリス)との交渉である。アヘン戦争、アロー戦争で清朝を破り、中国大陸の植民地化を進めていたイギリスにとって、キリスト教を母体とした太平天国は注目すべき存在であった筈だ。しかし、太平天国は西洋人が望んだ文明的な国家ではなかった。
太平天国側が巧く立ち回ればイギリスの支援を得ることが出来、清朝に取って代わることも夢ではなかったかもしれない(いかにも傀儡政権っぽいけど)。しかし太平天国はキリスト教的な信仰を母体としながらも、中国的な華夷思想からは抜け出すことが出来なかった。太平天国はイギリスに対しても、伝統的な朝貢を求め、対等な主権国家として向き合うことはなかったのである。
人類史上最悪の内戦へ
内外に敵を抱えた清朝は十分な軍事力を行使することができず、太平天国に十五年もの存続の機会を与えてしまった。しかし、強引に過ぎた太平天国のやり方はやがて行き詰まり。終焉の日を迎える。太平天国の乱における、死者の数は2000万人を超えているとされ、世界史上でも最悪の内戦の一つとなった。
太平天国は貧しい客家出身の洪秀全が、被抑圧民救済のために打ち立てた国家であった。しかし自民族中心主義、華夷思想から抜け出すことは出来ず、洪秀全自身も奢侈に溺れ、弱者を自らの側に取り込むことが出来なかった。
筆者は他者への不寛容を太平天国の敗因として挙げ、その後、現代に至るまでの共産党支配でも繰り返される中国政権の特徴であると説く。
改めて考えてみると中国では、中央集権的で専制的な国家体制が、古の王朝時代から長期に渡って継続しており、分権志向、ましてや民主主義的な思想が根付いたことはない。西洋社会とは相容れないのも、無理はないなと感じる。それに加えて、19世紀~20世紀初頭までの植民地時代の屈辱も加味されてくるわけで、他者への不寛容は今後も変わることが無いように思える。
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