パレスチナの歴史を知るために
2018年刊行。筆者の岡真理(おかまり)は1960年生まれの学者。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題、第三世界フェミニズム思想。京都大学名誉教授、早稲田大学文学学術院文化構想学部教授。
東京外大のアラビア語科を卒業後、同大の大学院へ。その後エジプトのカイロ大学に留学。若いころから中東地域を訪れ、現地と強いネットワークを築いている人物。
著作は以下の通り。
- 記憶/物語(2000年/岩波書店)
- 彼女の「正しい」名前とは何か:第三世界フェミニズムの思想(2000年/青土社)
- 棗椰子の木陰で:第三世界フェミニズムと文学の力(2006年/青土社)
- アラブ、祈りとしての文学(2008年/みすず書房)
- ガザの絶望を突き破る力を求めて(2010年/影書房)
- ガザに地下鉄が走る日(2018年/みすず書房)
- ガザとは何か:パレスチナを知るための緊急講義(2023年/大和書房)
内容はこんな感じ
1948年のイスラエルの建国によって、パレスチナに住んでいた70万人もの人々が難民となった。周辺諸国に離散したパレスチナ難民たちの過酷な生活。人権を認められず、職はなく、教育は与えられず、食べ物にすら事欠く日々。特にイスラエル軍による完全閉鎖が10年を超えたガザ地区の状況を凄惨を極めている。逃げることもできない「現代の強制所」では、日常的な虐殺が続いている。そんな中で、なおも人間らしく生きようとする人々の姿を追う。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 第1章 砂漠の辺獄
- 第2章 太陽の男たち
- 第3章 ノーマンの骨
- 第4章 存在の耐えられない軽さ
- 第5章 ゲルニカ
- 第6章 蠅の日の記憶
- 第7章 闇の奥
- 第8章 パレスチナ人であるということ
- 第9章 ヘルウ・フィラスティーン?
- 第10章 パレスチナ人を生きる
- 第11章 魂の破壊に抗して
- 第12章 人間性の臨界
- 第13章 悲しい苺の実る土地
- 第14章 ガザに地下鉄が走る日
- あとがき
ナクバ後のパレスチナ
昨年から続くガザ地区での虐殺は終わる気配が見られない。先日パレスチナ人作家ガッサンーン・カナファーニーの『ハイファに戻って/太陽の男たち』を読んで衝撃を受け、パレスチナ地域についての見識を更に深めてみたく、本書を手に取った次第。
ナクバ(النكبة)とはアラビア語で大厄災の意で、イスラエルの建国によって70万人を超えるパレスチナ人が故郷を追われた歴史的事件を指す。パレスチナ難民はイスラエル周辺のヨルダンやシリア、イラクなどに離散し、その子孫たちは現在では750万人にもおよぶとされている。
イスラエル建国直前の1948年4月、ユダヤ人武装勢力によって、見せしめとして虐殺されたデイル・ヤーシン村の事件を皮切りに、この地域ではイスラエル勢力によるパレスチナ人殺しが70年間継続的に続いている。
ノーマンズランド
第二章の太陽の男たちでは先述のガッサンーン・カナファーニーの『ハイファに戻って/太陽の男たち』収録の「太陽の男たち」について言及がなされている。
通常国境というと一本の線であるかのように考えがちだが、この地域では国境が二重化されている。たとえば、イラクとクウェートの場合、本来の国境の間に広大な緩衝地帯が横たわっている。そのため、国境を超えるにはイラクの検問を超えてから、何キロも緩衝地帯を移動し、更にクウェートの検問をそれぞれ超える必要がある。本書では「太陽の男たち」を読み解くための解説が丁寧になされており、こちらを先に読んでおけば「太陽の男たち」の解像度がもっと上がったかも。順番を間違えたかな。
この作品では実際に現地を訪れ、パレスチナ難民の生の声を聴いてきた筆者により、その苦悩の歴史と、現状がつぶさに綴られていく。国家を持つことを許されない彼らには、十分な人権が保障されていない。国民ではないのだから法も適用されない。誰からも守られない。ここは「ノーマンズランド」であり、彼らは「ノーマン」なのだ筆者は繰り返し説く。筆者は多くのパレスチナ人と出会い、交流を深めていく。しかし、かつて出会った人々が、数年後には殺害されて死者となっている状況は想像を絶している。
ガザで生きる
ガザ地区は1990年代にはパレスチナ自治政府の管理下にあったが、断続的にイスラエルによる空襲や地上軍の侵攻を受けている。その周囲にはイスラエル側が築いた隔壁が設置され、200万人もの市民たちはガザから外に出ることできない。「現代の強制収容所」と呼ばれる所以である。
度重なる攻撃で、ガザ地区のインフラは荒廃している。発電所は破壊され満足に電気を送ることができない。下水設備も稼働できず、生活排水は垂れ流し。海も汚染されてしまった。人々は反イスラエルの抗議デモを行うが、それに対しても容赦のない銃撃が浴びせられる。イスラエル兵は、ここであえてパレスチナ人を殺そうとはせず、その苦痛を長引かせるために脚を撃つのだという。
「かつて無知がホロコーストを招いたのだとすれば、無関心がガザの虐殺を招いている」。イスラエルは断罪されないし、裁かれない。パレスチナ人にはなにをしてもいいという世界的な趨勢がある。もちろん、パレスチナ側も多数のイスラエル人を殺害しているのだが、その殺戮の規模はあまりに非対称で対等の戦いではない。
本書で筆者は、こうした魂の破壊、空間の扼殺と呼ばれるような非道に対して、それでも「敵の姿にならない」ことを選んだ人々を紹介している。
タイトルの『ガザに地下鉄が走る日』は、ガザ在住のアーティスト、ムハンマド・アブーサルに拠るもの。
ガザに地下鉄が走る日 pic.twitter.com/sgv2mXa0aX
— 麗日 (@reizitsu) November 5, 2023
常に空爆の危機にされされるガザでは、対策として地下通路網が発達している(それが攻撃の目標にもなっているのだが)。むろん、ガザには地下鉄は走っていない。だがいつか、ガザから自由に出入りが出来るようになった時代に、ガザに地下鉄が走っていたら。これは「絶望の山」から「希望の石」を切り出す鑿なのだと筆者は最後にこう結ぶ。ガザの地下鉄はその希望の象徴として語られている。
岡真理の近著としては2023年に『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』が出版されているので、こちらも読んでみるつもり。