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『ガヴァネス ヴィクトリア朝時代の<余った女>たち』川本静子 生計のために住み込みの家庭教師となった女性たち

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中公新書版が再刊されたみすず版を読んだ

筆者の川本静子(かわもとしずこ)は1933年生まれの英文学者。津田塾大学の教授職を務め、2004年に退官。2010年に逝去されている。専門は19世紀~20世紀のイギリス文学。

『ガヴァネス ヴィクトリア朝時代の<余った女>たち』は1994年の刊行。最初は中公新書からの登場だった。

その後2007年にみすず書房版が刊行された。

ガヴァネス―ヴィクトリア時代の〈余った女〉たち

みすず書房版の表紙に掲載されているのは、イギリスの画家リチャード・レッドグレイヴ(Richard Redgrave)による「気の毒な先生(The Governess)」。当時のガヴァネス女性の姿を描いたもので、華やかな色合いの服を着て、明るい日差しの中に居る雇い主の娘たちと対比して、暗い部屋の中に居る黒服のガヴァネスとのコントラストが印象に残る。彼女が手に持っている手紙は黒枠で囲われており、身近な存在の死が暗示されているが、にもかかわらずガヴァネスの彼女は故郷に帰ることができないのだ。床に転がる毛糸玉は、彼女が家庭教師だけでなく、お針子としての役割も担わされていたことを示す。

内容はこんな感じ

19世紀。ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、男性の植民地進出や晩婚化により、大量の中流階級女性が結婚難に陥る社会問題が発生していた。生活の糧を得るべく、彼女たちはガヴァネス(住み込みの家庭教師)として働くことになる。雇用主からは一段下に見られ、使用人たちからは距離を置かれる不安定な立ち位置。低賃金、長時間労働。老後の保障はない。女性の社会進出の先駆となったガヴァネスとはいかなる存在であったか?物語に登場したガヴァネスを通して、その姿を概観していく。

目次

本書の構成は以下の通り。

  • 第一部 現実のガヴァネスたち
    • ガヴァネス普及の背景
    • ガヴァネスの口を求む
    • 何をどう教えたのか
    • 気の毒な先生
    • ガヴァネス問題への対策
    • 海外の王室付きガヴァネスの一例 ※
  • 第二部 小説の中のガヴァネスたち
    • レディ・ピカロ―クララ・モーダント(『ガヴァネス』)
    • 危険な女―ベッキー・シャープ(『虚栄の市』)
    • 反逆する女―ジェイン・エア(『ジェイン・エア』)
    • 道徳的優位者―アグネス・グレイ(『アグネス・グレイ』)
    • 身をあやまった女―レディ・イザベル(『イースト・リン』)
    • 外面は天使、内面は悪魔―ルーシー・グレアム(『オードリー卿夫人の秘密』) ※
    • 真実の女―ルーシー・モリス(『ユーステス家のダイアモンド』)
    • 幽霊を見たガヴァネス(『ねじのひねり』)

※印がついているのはみすず書房版で加筆されたもので、中公新書版にはないパート。

前半の第一部はガヴァネスとはいかなる職業であったのか。その概要と実情について紹介していく。後半の第二部では物語の中に登場したガヴァネスヒロインたちを8人セレクト。これらの作品を通じて、当時のイギリス社会にあってガヴァネスがいかなる地位にあり、どのような問題を抱えていたのかを浮き彫りにしていく。

ヴィクトリア朝時代のガヴァネスたち

第一部は「現実のガヴァネスたち」と題して、ヴィクトリア朝時代のイギリスで大きな存在感を示したこの職業のなりたちと、実情、社会的な問題点を明らかにしていく。「有給職の女性はレディでない」。金のためにはたらくなど、レディの風上にもおかないとされた時代に、経済的に困窮し「やむなく働かざるを得なくなったレディ」がガヴァネスだ。

この時代、男性の多くが稼げる植民地に進出、また晩婚化も進行し、大量の独身女性が発生し社会問題となっていた。中産階級以上で、ある程度の教養のあった女性たちが、唯一選択できた職業がガヴァネス(住み込みの家庭教師)だった。記録によると19世紀半ばで2万5千人ものガヴァネスが存在したのだとか。

過酷なガヴァネスの待遇

ガヴァネスの数が多いということは、買う側は買い叩けるわけで、彼女たちの待遇は総じて低く、安い賃金で過酷な労働を強いられた。ハウスキーパー並みの賃金で、365日労働を強いられるのだから、これは辛い。教養があり、中産階級出身のガヴァネスたちは、自分たちが他の使用人と比べて「上」である自覚がある。しかし、雇い主やその客からは、当然のことながら対等の存在としては見做されない。屋敷の中に同じ境遇の者がいない、話し相手すら存在しない職場(しかも住み込みなのだ)とは、どれほど過酷であったろうか。

しかしながら、ガヴァネスは女性の社会進出の先駆でもあった。玉石混交であったガヴァネスたちを教育するための、女子教育の仕組みが作られたり、社会的に認められ著名な存在となった人物も出てきている。本書ではタイ王室に雇われ、大きな貢献を果たしたガヴァネス、アンナ・リーノウェンズが紹介されている。

ちなみに、本書では扱われていないが、かの「奇跡の人」ヘレン・ケラーを養育した、アン・サリヴァンもガヴァネスのひとりだった。

フィクション世界のガヴァネスヒロイン

後半の第二部は「小説の中のガヴァネスたち」として、英文学に登場する八人のガヴァネスヒロインたちを取り上げ、その実情を紹介していく。このあたりは、英文学者ならではの視点と言えるだろう。取り上げているのは現在では読まれなくなってしまった通俗小説、当時はセンセーショナルノベルとしてもてはやされた作品も含まれており、いかに当時のイギリス社会では、ガヴァネスが当たり前に存在する職業であったことが伺える。

こき使われ、蔑視され、それでも艱難辛苦を乗り越えて玉の輿に乗るガヴァネス。強烈な上昇志向を持ち、したたかに社会階層を駆け上っていくガヴァネス。幸せな家庭を捨てて零落し、ガヴァネスとして再起をもくろむ女。抑圧された環境下で精神の平衡を失っていくガヴァネス。本書では多種多様なガヴァネスの生きざまが紹介されており興味は尽きない。

いずれの作品においても、自力での階層上層が困難であったり、経済的成功と恋愛の成功が両立しえなかったりと、現実世界でのガヴァネスが社会的に困難な状況下から逃れえなかったことが読み取れてしまい、居たたまれない気持ちにさせられる。

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