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『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』関幸彦 女真族の襲来と軍事貴族たちの台頭

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平安時代の異民族襲来

日本の歴史上、本土にまで外国勢力が侵入を果たした例は少ない。直近での最大の事例は言うまでもなく太平洋戦争(第二次世界大戦)になるだろう。しかしそれより前となるとどうだろうか。なんと鎌倉時代の元寇(1274年、1281年)まで遡ることになる。

では、元寇より前はどうだろうか。本日ご紹介する「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」は平安時代(1019年)に起きた、最大の対外危機を描いた一冊である。平安時代にも日本は、異民族による本土襲撃を受けていたのである。

刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機 (中公新書)

筆者の関幸彦(せきゆきひこ)は1952年生まれの歴史学者。現在は日本大学文理学部の教授職にある人物。

この本で得られること

  • 平安時代最大の対外危機「刀伊の入寇」の全貌がわかる
  • 古代、王朝期、そして武士の台頭へとつながる日本の軍制史がわかる

内容はこんな感じ

1019年、対馬、壱岐、そして北九州の沿岸地域を突如、異民族の集団が襲った。中国東北部から南下した女真族(刀伊)が海賊化し、日本にやってきたのである。混乱を極める現地では、藤原の道長の甥にあたる藤原隆家らが奮戦し、かろうじて刀伊の侵攻を撃退する。平安時代の世界情勢を読み解きつつ、変貌を遂げつつあった日本の軍制についても明らかにしていく。

目次

本書の構成は以下の通り

  • 序章 海の日本史
  • 第一章 女真・高麗、そして日本
  • 第二章 刀伊来襲の衝撃
  • 第三章 外交の危機と王朝武者
  • 第四章 異賊侵攻の諸相

古代の対外戦争史

刀伊とは東夷を意味し、中国東北部から南下した女真族を指している。中国は宋王朝による支配が続いていた時代である。しかし宋は北方の契丹勢力に圧迫されつつあり、女真族もまた契丹の勢力拡大により、故郷である中国東北部を追われ、南下を余儀なくされている。日本を襲ったのはそんな女真族の中で、海賊化した一部のものたちではないかと考えられている。

恥ずかしながら、わたしは高校では世界史を選択していたので、日本史には疎い。刀伊の入寇についてもほとんど知らなかったのだが、本書を読んでみると、それ以前にも、日本はたびたび外国勢力の侵入を許していたことわかる。

刀伊の入寇よりさらに前の、9世紀~10世紀の間には、朝鮮半島の新羅からの賊徒が、再三日本各地を襲っていた。これは「新羅の入寇」と呼ばれる。Wikipedia先生の新羅の入寇のページを読んでみると、刀伊の入寇よりもはるかに被害が長期かつ、甚大であったことがよくわかる。

よって、古代、特に壱岐対馬や、北九州の沿岸地域においては、対外勢力による侵攻は現実性の高いリアルな脅威であったのだと想像できる。

藤原隆家の活躍が熱い

刀伊の襲来を受けた際に、大宰府(九州地方を治めていた行政府のあった場所)で、権帥(だざいごんのそち)として赴任していたのが藤原隆家(ふじわらのたかいえ)である。藤原隆家は、藤原道長の甥にあたる人物。父親の藤原道隆が藤原道長の兄にあたる。

父、道隆が早逝したこともあり、宮中では道長系が権力を握り、隆家は冷遇される。隆家自身、もとより戦闘的で、激しい気性の持ち主であったようで、花山院を襲撃し、衣の袖を射抜く大事件を起こし、都を追われることになっている。性無者(さがなもの)と呼ばれた隆家は、貴族でありながらも弓矢を取る「戦う貴族」であったわけだ。

本書では藤原隆家に従い、刀伊の入寇で活躍した「戦う貴族」が幾人も登場する。律令時代の軍制を経て、王朝時代の軍制では彼らのような軍事貴族が各地に登場し、現地の住人らと密接に関与することで勢力を蓄えていく。こうした存在が、のちの世の武士の世に台頭に繋がっていくのだから歴史とは面白い。

本書では古代から中世にかけての、日本の軍制の変化を以下のように位置付けている。

  • 寛平期(9世紀)新羅戦での律令的武力発動(徴兵制)
  • 寛仁期(11世紀)刀伊戦での王朝的武力発動(傭兵的)
  • 文永・弘安期(13世紀)元寇における幕府の武力発動(封建制)

なお、戦う貴族の実態についは、同じく関幸彦の『恋する武士 闘う貴族』が面白かったので、併せてご紹介しておく。

長峯諸近の行動力がすごい

本書で気になったもう一人の人物が長嶺諸近(ながみねのもろちか)だ。諸近は刀伊の入寇当時、対馬国の判官代を務めていた官吏である。刀伊の襲来によって、諸近は家族もろとも捕虜となり連れ去られる。刀伊が北九州から撤収する際に、かろうじて諸近ひとりが脱出に成功するが、家族はその後行方知れずとなってしまう。

諸近がすごいのはここからだ。家族の身を案じた諸近は、当時禁じられていた朝鮮半島(高麗)へ単身渡海を決行。異郷の地で家族の足跡を訪ね歩くのである。しかし、刀伊によって諸近の母や妻、そして妹も殺されてしまっていた。諸近は唯一生き残っていた伯母と、数人の女性らを伴って帰国を果たす。だが、渡海の禁を破った咎で、諸近は罪に問われることになってしまう。

諸近が高麗にわたったおかげで、ごく一部とはいえ生き残った捕虜が帰国することが出来、その証言は後世に残ることになった。しかしその代償として、諸近は罰を受けることになってしまう。なんともやるせない話である。

開の体系と、閉の体系

最後にあと一つだけ。本書で筆者が展開している、興味深い視点として「開の体系と、閉の体系」がある。日本の対外史は、外国文化を積極的に受け入れた「開の体系」と、固く国を閉ざした「閉の体系」が繰り返されているというものである。雑にまとめるとこんな感じ。

  • 開:古代(仏教伝来、遣唐使、中国の波)
  • 閉:古代~中世(遣唐使廃止、刀伊の入寇、元寇)
  • 開:戦国~織豊政権期(南蛮の波)
  • 閉:江戸期(鎖国)
  • 開:明治以降(欧米の波)

対外的に国を閉ざす行為は、日本が島国だから実現できた施策ではあったのだろう。陸続きの国同士ではそうはいかない。

周囲を海に取り囲まれていることで、ある程度意図的に対外交流をコントロールできた日本だが、グローバル化が進む現在ではもはや「閉の体系」は選択しえない。いまなお進行中の「コロナ禍」も、考えてみれば現代の「入寇」と捉えることができるのかもしれない。

なお、藤原隆家と刀伊の入寇については、葉村麟による小説『刀伊入寇 藤原隆家』があるので、気になる方はこちらも要チェックである。

また、Amazonで検索していたらこんな作品もあったので併せてご紹介。Kindle Unlimited対応作品のようなので、会員の方はチェック!

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