河出文庫古典新訳コレクションの一冊として
2016年刊行作品。先日ご紹介した『土左日記』と同様に、池澤夏樹(いけざわなつき)による個人編集版「日本文学全集(全30巻)」の第3巻に収録されている作品。『更級日記』『土左日記』以外に、『竹取物語』『伊勢物語』『堤中納言物語』を収録していた。
「日本文学全集(全30巻)」は、河出文庫の古典新訳コレクションとして文庫化されており、本作はそのラインナップの一つ。『更級日記』は2024年に文庫化された。
文庫版には、もともと収録されていた全集版のあとがきだけでなく、更に文庫版のあとがきと、国文学者の原岡文子(はらおかふみこ)による解題が追記されており、より理解が深まる構成となっている。
内容はこんな感じ
父親が上総国の受領であったため、地方で育った私は、幼いころより物語に憧れる少女だった。父の任期が終わり、ようやく京の都に戻ると、夢にまでみた『源氏物語』の全巻を読める日がやってくる。親に強いられた宮仕え、望まない結婚、そして歳月は流れ、信仰にのめり込む日々。思うようにはいかなかった人生。老境に至った私は何を想うのか。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 旅
- 娘としての京での生活
- 宮仕え、結婚
- 神仏参り
- 老境
- 全集版あとがき 閉じ込められているふくらみ
- 文庫版あとがき
- 解題 原岡文子
全集版あとがきによると章立ては訳者である江國香織(えくにかおり)が、現代語訳の際に行ったもので、原典はひとつづきの文章になっている。
菅原孝標女×江國香織
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は1008年生まれで、没年不明(1059年頃までは存命が確認されている)。本名は不詳。父親の菅原孝標(すがわらのたかすえ)は上総国・常陸国で受領を務めた人物。かの菅原道真(すがわらのみちざね)の子孫であり、菅原孝標女は玄孫にあたる。母親の異母姉が『蜻蛉日記』を書いた藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。
また、訳者である江國香織は1964年生まれの小説家。初期の代表作に紫式部文学賞を受賞し、映画にもなった『きらきらひかる』。2004年の『号泣する準備はできていた』で直木賞を獲っている。
『源氏物語』に憧れて
上総国(現在の千葉県)で育った菅原孝標女は『源氏物語』の世界に憧れる。だが地方在住の悲しさ、『源氏物語』の全文を読む機会に恵まれない。印刷技術がなかったこの頃、書物は筆写でしか伝わらない。上総国にまで、まだ『源氏物語』の全巻は伝わっていなかったのだろう。
京都に戻り、ようやく念願の『源氏物語』の全巻を読むことができた、菅原孝標女の歓喜は同じ読書人として想像するに余りある。姪っ子の願いを知り、『源氏物語』の全巻セットを届けてくれる伯母の存在も嬉しい。持つべきは自身の趣味に理解のある親戚である。
現実は物語のようにはいかない
憧れの『源氏物語』を読むことができた。おそらく菅原孝標女は暗唱できるほどに読み込んだことだろう。自分も『源氏物語』に出てくるような女君たちのような、運命的な出会いや恋をしたい。物語を愛する人間なら、その登場人物に自分を重ねてみることはよくあることだ。『源氏物語』に出てくる浮舟のように、素敵な男性に囲われて、山里にひっそりと隠れて暮らしたい……。
だが、現実はそう甘くはない。親の意思で望まない宮仕えをさせられ、ようやく職場に慣れてきたと思ったら、またしても親の意向で意に染まない結婚を強いられる。そこには物語のような劇的さも情熱もなく、ただひたすらに生々しい現実の壁が立ちはだかる。
数少ないロマンス要素として、女房仕え時代に「いいな」と思えた男性との、つかの間のやり取りが描かれるが、この関係も発展はせず、何事もなく人生は過ぎていく。何もなかった。それっきりだった。いつしか時は過ぎてしまったと綴る、菅原孝標女の諦念がなんとも切ない。実際問題ほとんどの人間において「何もなかった」ことの方が、圧倒的に多いのだ。
物語なんかにかまけている場合ではなかった?
少女時代に物語に憧れ、あれこれと思い描いた理想の未来は何ひとつ現実にならなかった。夫に先立たれ、子どもたちも独立し、菅原孝標女の老境は寂しいものであったのかもしれない。役に立たない物語や和歌に没頭するのではなく、若いころから仏道に励み、信仰を深めていればこんな惨めな老後にはならなかったのではないか。私は何一つ願いが叶うことなく終わった女。夢想的な前半の展開と比して、終盤の絶望的な語りには衝撃を受ける。
『更級日記』は、老境に至って、自らの生涯を悔いただけの話なのか?一読すると、そのように断じてしまいそうになる。だが、ラストのなんとも人を喰った締め方で、だいぶ印象が変わってくるのだ。
自虐的な語りをする私を、作家の自分が更に上から俯瞰している
「可哀想な私」で満ち満ちた菅原孝標女の便りを、かつての知人は「ありふれたこと」と一蹴するのである。ここに至って、ようやく読み手は菅原孝標女の悲劇的な自分語りを、額面通りに受け取ってはいけないのではないかということに気付かされる。
菅原孝標女は本当に物語を、何の役にも立たない、不毛なものだと思っていたのだろうか。作家は書きたいことを書く。そして意図的に「書かない」ことも選択している。実際の菅原孝標女は、『更級日記』だけではなく、物語『浜松中納言物語』『夜半の寝覚』の作者ではないかと推定されている。菅原孝標女は単なる一読者では終わらず、自らも物語を紡ぐ作家でもあったのだ。『更級日記』には作家としての菅原孝標女は全く描かれない。となると、だいぶ話は変わってくる。
さんざん自虐的に己の生涯をネタにはしているけれども、本音のところでは、まったく逆のことを考えていたのではないか。こんな老境になっちゃったけど、まあ、仕方ないよね?的な開き直りとも読むことができて、この書き手、ただものではないと思ってしまうのであった。鬱々とした陰から、一転してあっけらかんとした陽に転じるラストが素晴らしい。「ラスト一行」で全てをひっくり返すタイプの作品、どんでん返し系の、実は最初期の作例なのかもしれない。