ビズショカ(ビジネスの書架)

ビジネス書、新書などの感想を書いていきます

『ユーゴスラヴィア現代史』柴宜弘 ユーゴ内戦を因縁から学ぶ

本ページはプロモーションが含まれています

旧ユーゴスラヴィア史を知るために

1996年刊行。筆者の柴宜弘(しばのぶひろ)は1946年生まれ。早大卒で本書執筆時は東大大学院の教授。現在は退官されて、城西国際大学の特任教授に。専攻は東欧地域研究。バルカン近現代史。2021年の5月に他界されている。 

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書) 

なんと2021年に新版が登場していた。24年ぶりの改稿。筆者がほとんど書き上げていたものを、死後、お弟子さんたちが補筆して完成させたものなのだとか。

この書籍から得られること

  • 旧ユーゴスラヴィアがなぜ分裂したのかがわかる
  • 旧ユーゴ紛争がどうして起きたのかがわかる
  • その後の旧ユーゴ諸国の事情がわかる

内容はこんな感じ

ユーゴスラヴィア内戦は冷戦終結後最悪の地域紛争となった。カリスマ的な指導者チトーを擁し、七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家と称され、複雑な構造を持っていた多民族国家はいかにして崩壊の途を辿ったのか。中世以降の歴史的経緯を踏まえながら読み解いていく。

まずは、備志録も兼ねてざっと要約

1)中世~近代

中世から近代までハプスブルク帝国領土であったスロヴェニアとクロアチア。オスマン=トルコ領であったセルビア、モンテネグロ、マケドニア。そして両帝国の中間地帯であったボスニア・ヘルツェゴビナ。民族的にはスロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人、アルバニア人、ハンガリー人、ドイツ人、トルコ人、ムスリム人などが混在。長い年月をかけて居住地域が混在。混血も進んでいたらしい。紛争の火種は何百年も前から用意されていた。

2)オスマン帝政末期~サラエヴォ事件

ハプスブルク、オスマン=トルコの帝政が揺らいでいく中で独立の機運が高まりまずはセルビアが独立。ハプスブルク帝国との摩擦が高まり、サラエヴォ事件が勃発⇒第一次世界大戦へ。この戦争ででセルビア人の29%(125万人)が死亡。 しかしハプスブルク帝国が第一次大戦で敗れたこともあり、王政ユーゴスラヴィアが誕生。この時の王はセルビア王アレクサンダル。クロアチアは一時独立を宣言するも国際情勢を鑑みて断念する。これが俗に言う第一のユーゴ。中心はセルビアだったが、圧倒的な力で建国にこぎつけたわけではなく、政治的な妥協の産物だった。

3)第二次大戦下で深まる因縁

第二次大戦が始まるとドイツ軍が進駐しユーゴを分割占領してしまう。ナチス主導でのクロアチア独立国が誕生する。ドイツは国家支配に民族間対立を利用。クロアチア内部のセルビア人をクロアチア人の民族組織ウスタシャが組織的に虐殺(一説によると75万人が死亡)。これが後々に禍根を残すことになる。

4)ユーゴスラヴィア誕生

民族が混在するユーゴ内で、当時唯一横断的な組織となり得たのが共産党だった。チトーを主導としたパルチザン組織が活躍しソビエト軍の力を借りながらもドイツ軍を駆逐。こうして第二のユーゴが誕生する。この時点で六つの共和国、二つの自治州からなる連邦国家だった。各国の権利は強大で、ユーゴはとても緩い連邦制だった。依然政府の主力はセルビア人ながらも、大統領のチトー存命中はギリギリバランスが保たれていた。逆に最大の人口を持ちながら、その力を抑制されてきたセルビア人には潜在的なストレスが溜まっていた。

5)ソヴィエト崩壊、東欧諸国の開放

ソ連が解体され東欧諸国の解放が進む中で、ユーゴは経済的に非常に遅れた地域となってしまう。チトーの死をきっかけにユーゴ崩壊が進む。 最初はセルビア内のコソヴォ自治州内でのアルバニア人の反乱から(1981年)。コソヴォはユーゴ内で最貧の地域で、この時点では民族間問題よりも、経済問題が主だった。

1987年。セルビアの大統領にミロシェビッチが就任。ユーゴ国内は長年、北部(スロヴェニア、クロアチア)の方が南部(セルビア、モンテネグロ、マケドニア)よりも経済水準が高く、ミロシェビッチはセルビア主導による連邦制の強化(緩い連邦制の廃止)で、セルビアの優位性を高めようとした。

6)ユーゴスラヴィア内戦勃発

これに対してスロヴェニア、クロアチアは危機感を強め、1991年に独立を宣言。ユーゴからの分離を企図。独自の軍事組織を構築し始める。各国にはセルビア人主体のユーゴ連邦軍が駐留しており、これがそれぞれの国の武装勢力と衝突。かくしてユーゴ内戦が本格化する。

スロヴェニアは比較的国内のスロヴェニア人比率が高く(91%)、小規模な十日間戦争を経て独立を確保。クロアチアは人口のクロアチア人比率は78%。国内少数(12%)のセルビア人はクロアチアの独立に反発。第二次大戦時の虐殺の記憶が蘇り内乱がエスカレートする。ボスニア内戦はこのクロアチアでの民族問題が飛び火。もともとハプスブルク、オスマン両帝国の狭間の地域で民族の混合が進んでいた地域で、更にムスリム人という第三の民族の存在もあり情勢は更に悪化。それぞれの民族が強制収容所を作り虐殺を展開する最悪の状態に入っていく。

セルビア、モンテネグロは1992年に新ユーゴスラヴィアの建国を宣言。 そして国連やNATOによる介入が始まる。セルビア、クロアチア両陣営による、世界各国に対するプロパガンダ作戦がスタート。クロアチアのプロパガンダの方が成功しセルビア悪玉論が強まる。1995年NATOによるボスニア空爆開始。総計3,000回を越える出撃。ボスニアは内部にセルビア人共和国を抱え込むことで辛うじて和平が成立する。

ハァハァ、とりあえず要約ここまで。

ユーゴスラヴィア史は難しい

とても要約(の域を超えているが……)が長くなってしまったが、だいたいこんなところか。1996年時点での刊行なので、実は本書ではこの内戦の全貌を書き切れていない。刊行当時はまだ辛うじてセルビア、モンテネグロによる新ユーゴスラヴィアが存在していたが、2006年に解体され完全にユーゴスラヴィアという名の国は消滅している。

そしてコソヴォ問題は現在でも完全には解決していない。その後10年の状況についてはwikipedeiaの関連項目を半日かけて読みふけることでようやく理解。現代史は難しい……。

一口にユーゴ内戦といっても、地域によって内戦の原因が違い、戦っている民族も異なり、理解するのがかなり難しい。半世紀もの期間、便宜上とはいえ同じユーゴスラヴィア人として暮らしてきた隣人同士が、どうしてこのような憎悪をたぎらせた最悪の内戦状態に陥ってしまったのかは、日本人には正直理解しがたいものがある。やはり地続きで別の国がある世界は緊張度が違うのだろうか。

ユーゴスラヴィア史を知るには良書かと

柴宜弘の『ユーゴスラヴィア現代史』は、この地域の特徴が俯瞰出来る良書だと思う。限られた誌面でコンパクトに判りやすく説明されている。2021年の改訂版は大幅に加筆されているようなので、こちらも読んでみるつもり。

ユーゴ関連本は90年代前半に出たモノはたくさんあるのだけど、90年代後半の状況を書いてくれている本が少ないようなので、現在良い本が無いか物色中。同じ筆者で、2016年に新版が出ている『バルカンを知るための66章【第2版】』があるようなので、次はこれにしようかな。

ちなみにクロアチア側のプロパガンダを請け負っていたのはアメリカの広告代理店らしく、この件については先日紹介した、 『ドキュメント戦争広告代理店』が詳しいので、こちらもおススメだ。

また、小説の世界では米澤穂信の『さよなら妖精』をおススメしておきたい。ユーゴスラヴィアから来た少女の物語である。