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『頼朝と義時 武家政権の誕生』呉座勇一 頼朝の限界と義時の達成

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呉座勇一による源頼朝と北条義時の本

2021年刊行。筆者の呉座勇一(ござゆういち)は1980年生まれの歴史学者。専門は日本中世史。

頼朝と義時 武家政権の誕生 (講談社現代新書)

著作としては2016年の『応仁の乱 戦国を生んだ大乱』が有名かな。

マイナーな室町時代を扱った新書としては異例の34刷。50万部近い大ヒットとなった。

この書籍から得られること

  • 鎌倉幕府成立までの流れが理解できる
  • 初期の鎌倉幕府の特徴が理解できる
  • 頼朝と義時の成し遂げたことが理解できる

内容はこんな感じ

伊豆国の流人に過ぎなかった源頼朝は、いかにして関東に一大勢力を築き上げたのか。そしてその限界はどこにあったのか。また、頼朝の偉業を引き継ぐことになった北条義時は、いかにして武士の時代を定着させたのか。創始者である頼朝と、継承者である義時。二人の目線から創成期の鎌倉幕府を読み解いた一冊。

目次

本書の構成は以下の通り。

  • はじめに
  • 第1章 伊豆の流人
  • 第2章 鎌倉殿の誕生
  • 第3章 東海道の惣官
  • 第4章 征夷大将軍
  • 第5章 頼朝の「家子専一」
  • 第6章 父との相克
  • 第7章 「執権」義時
  • 第8章 承久の乱
  • あとがき

前半の4章が頼朝パート、後半の4章が義時パートで構成されている。

源氏バトルロワイアルの勝者としての頼朝

本書を読んで実感させられるのが頼朝の立場の不安定さだ。源氏の嫡流とはいいながらも、長年にわたる流人暮らしで譜代の家臣はいない。頼朝は、最初に伊東家、そして北条家を頼る。金もなければ権力もない頼朝は、現地の武士に頼るしかない。

力がなかったが故に、頼朝は源氏の棟梁の地位にこだわる。旗揚げ当初は甲斐源氏の武田氏に主導権を握られ、先に上洛を果たした木曽義仲の躍進に焦る。頼朝は、平家追討よりも、義仲討伐にこだわりを見せていたとの指摘は面白い。

頼朝の焦燥感は、やがて後白河法皇と結んだ、実弟義経との骨肉の争いに及んでいく。近臣者をことごとく屠ってしまったがことが、結果として源氏将軍が三代で絶えてしまったことに繋がっているようにも思え、なんとも皮肉に感じる。

貴種故の頼朝の限界

筆者は、武士としては破格の官位を得ていた「王家の侍大将」出身であった頼朝には、それ故の限界があった説く。中央出身者で、あくまでも朝廷に仕える武士という立場から、頼朝には朝廷と大きな抗争を起こしてまで、武士の権利を保護する意識を持たなかった。

また、頼朝の支配地域はあくまでも関東周辺の限定的な範囲にとどまっていた。西日本はほとんど朝廷の支配下にあった。朝廷への奉仕者であり、守護者、自身を「王家の侍大将」と認識していた頼朝の自己抑制が、鎌倉幕府を朝廷の下部機関に留めていたとする、筆者の指摘が実に興味深い。

鎌倉バトルロワイアルの勝者としての義時

有力な血族を根絶やしにしてしまった頼朝。対して、頼朝の権力を継承することになる北条氏は、有力な御家人をことごとく滅ぼすことで自身の権力を確立している。梶原景時の排斥。二代将軍頼家と、その乳母一族であった比企氏の打倒。畠山重忠の殺害。と、このあたりまでは、義時というよりは、父、時政の功績?と呼ぶべきだろうか。

義時の存在感が出てくるのは、父、時政との権力抗争を制してから。時政が、正室の牧の方らと結託して、独自の将軍(平賀朝雅)擁立の動きを見せていたという展開には驚かされた。義時は「江間義時」としての活動が長く、時政的には北条家の嫡流と考えていなかったのではとの指摘は興味深かった(オッサンになってからもらった、若い嫁には逆らえないのだろうか)。

頼朝死後、最大の内乱となった和田合戦を制したことで義時の政権基盤が確立する。その後の、実朝暗殺については、義時黒幕説が巷間ではよくささやかれるのだが、本書ではメリットがないと否定。公暁の単独犯説を採っている。

義時が成し遂げたこと

実朝の死後、鎌倉方と朝廷の間には深刻な溝が生じてしまう。後鳥羽院は、義時追討の宣旨を発し承久の乱が発生する。鎌倉政権打倒ではなく、あくまでも義時追討としている点がポイントかな。

義時という人は、あまり表に出たがらない人だったのか、生涯最大の事件であろう承久の乱でも、あくまでも裏方に徹している。御家人を奮い立たせる演説を行ったのは姉の政子だし、守りではなく主戦論を展開したのは大江広元。そして、京都に攻め入って勝利したのは息子の泰時だ。

ただ、義時の凄みは戦後処理にあるのではないかと思う。義時は、乱に関与した後鳥羽院をはじめとした上皇たちを流罪に処す、前代未聞の大ナタを振るう。皇位継承にも干渉し、更には朝廷から軍事力を奪う。後鳥羽院方についた御家人の所領を没収し、東国の御家人に再分配することで、これまで支配が及ばなかった西日本地域の実効支配が進む。ここに至って、武家が公家に優越する政権が、日本史上初めて誕生したわけである。

大河ドラマ合わせの一冊だったはず

NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の時代考証担当が、当初は呉座勇一であったことは多くの方がご存じであろう。そして、こちらの事件により降板されたこともよく知られている。

事件としては弁護の余地もなく、致し方のないことだとは思う。

『頼朝と義時 武家政権の誕生』は、おそらくは、大河ドラマの放映に合わせて「監修者自身による頼朝・義時本」として刊行されるはずだったに違いない。本書がお蔵入りにならず、世に出たのは良かったと思う。あくまでも著作は著作として評価されるべきだと考えたい。

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