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『北条氏の時代』本郷和人 七人の得宗家から読み解く鎌倉時代

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本郷和人による「北条氏」本

2021年刊行。筆者の本郷和人(ほんごうかずと)は1960年生まれの歴史学者。東京大学史料編纂所で教授職にある人物。専門は日本の中世史。

一般人向けの著作も多く、メディアに登場する機会も多いので、ご存じの方も多いのではないか。2012年のNHK大河ドラマ『平清盛』(←名作!)では時代考証を担当されている。

北条氏の時代 (文春新書)

本郷和人の著作について、本ブログでは『承久の乱 日本史のターニングポイント』を以前にご紹介している。気になる方はこちらも要チェック!

この本で得られること

  • 北条得宗家がどのような存在であったのかがわかる
  • 北条得宗家視点で鎌倉時代を概観できる

内容はこんな感じ

頼朝の作った鎌倉幕府で、将軍に替わって権力を握り、150年にも及ぶ鎌倉時代を作り上げた一族、北条家。彼らはどのような存在で、いかにして政敵を滅ぼし頂点に立ったのか。時政、義時、泰時、時頼、時宗、貞時、高時と、七人の得宗家(北条家当主)の足跡をたどりながら、「北条氏の時代」とはいかなるものであったのかを読み解いていく。

目次

本書の構成は以下の通り。

  • はじめに
  • 中世鎌倉の地図
  • 現在の都道府県と旧国名
  • 北条氏系図/天皇家系図
  • 第1章 北条時政―敵をつくらない陰謀術
  • 第2章 北条義時―「世論」を味方に朝廷を破る
  • 第3章 北条泰時―「先進」京都に学んだ式目制定
  • 第4章 北条時頼―民を視野に入れた統治力
  • 第5章 北条時宗、北条貞時―強すぎた世襲権力の弊害
  • 第6章 北条高時―得宗一人勝ち体制が滅びた理由
  • あとがき
  • 北条氏の時代関連年表

鎌倉幕府の歴史を「得宗」視点で概観

源頼朝に始まる源氏将軍が三代で絶えたのち、鎌倉幕府の権力は北条家に握られる。『北条氏の時代』では鎌倉時代を北条氏の得宗(とくそう)家の視点から読み解いていく一冊だ。

あれ得宗って何?執権じゃないの?と思われる方も多いかもしれない。得宗とは北条家における、家長、惣領的な存在だ。

得宗(とくしゅう/とくそう)は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系。徳崇、徳宗(読みは同じ)とも呼ばれる。幕府の初代執権の北条時政を初代に数え、2代義時からその嫡流である泰時、時氏、経時、時頼、時宗、貞時、高時の9代を数える。

得宗 - Wikipediaより

彼らの多くは執権職を経験しているが、執権職を降りた後も権力を握り続けている。天皇家における上皇(特に治天の君)的な存在と言えばわかりやすいだろうか。

鎌倉幕府には16人(17人とする場合もある)の執権が存在しているが、彼らの半数近くは得宗ではない。執権でありながら、最高権力者ではなかった人物も少なからず存在していたのである。

本書では得宗の中でも、特に重要な時政、義時、泰時、時頼、時宗、貞時、高時の七人にスポットを当てて、それぞれの時代の特徴を読み解いていく構成を取っている。

「世論」を重んじた、時政、義時時代

源頼朝が挙兵した当時、北条氏は娘政子を正室として嫁がせているだけの、坂東の一豪族に過ぎなかった。初代時政、二代義時の親子が凄みを増してくるのは、頼朝の死後である。

この時代の主な事件。

  • 比企能員の変
  • 源頼家失脚
  • 畠山重忠の乱
  • 牧氏の乱
  • 和田合戦
  • 源実朝暗殺、源氏直系将軍の断絶
  • 承久の乱

時政、義時父子は凄惨な御家人バトルロワイヤルの中で、生き残った。彼らは、周囲の御家人たちの「世論」を巧みに調整しつつ、自らの権力基盤を確立していく。当初の北条氏は、鎌倉幕府創設時には、あくまでも「その他大勢」の一つでしなかった。そのため勢力を伸ばしていくには、周囲の御家人たちの賛同が欠かせなかった。時政、義時父子のえげつないまでの調整力に驚かされる。

北条家への権力集中過程、泰時、時頼

三代執権泰時、五代執権時頼の時代を経て、北条家の権力が確立していく。

この時代の主な事件。

  • 北条政子死去(鎌倉幕府第一世代の退場)
  • 九条頼経将軍即位、摂家将軍の時代に
  • 御成敗式目制定
  • 宮騒動
  • 宝治合戦

特筆すべきは、泰時が定めた御成敗式目の存在だろう。鎌倉幕府の最大の役割は、御家人間の土地問題の調停にあった。承久の乱に勝利した後の幕府は、日本全国の土地問題についても調停するだけの実力を得ている。御成敗式目は、その後の北条家による御家人当地の基盤となっていく。

一方で、最大の御家人として残っていた三浦氏が、遂に宝治合戦で滅ぼされてしまう。これによって北条氏に比肩しうる御家人が存在しなくなり、北条一門の勢力が伸長していくことになる。

強すぎた得宗権力、時宗、貞時、高時の時代

一人勝ちを続ける得宗権力は、八代執権時宗、九代執権貞時の時代に全盛を迎える。しかし強すぎた世襲権力はさまざまな弊害をもたらし、十四代執権高時の時代に至り、遂に破綻を迎える。

この時代の主な事件。

  • 二月騒動
  • 文永の役・弘安の役(元寇)
  • 霜月騒動
  • 平禅門の乱
  • 嘉元の乱
  • 正中の変
  • 嘉暦の騒動
  • 元弘の乱
  • 鎌倉幕府滅亡

御家人の勢いが衰えると、鎌倉幕府の中では北条氏の被官である御内人(みうちびと)の権力が大きくなる。大河ドラマなどで活躍した、平頼綱や長崎円喜の存在がよく知られているだろうか。北条氏の権力が強大化していく中で、将軍家が形骸化したように、御内人の権力が大きくなると、皮肉にも得宗家の存在も形骸化していく。

末期の鎌倉幕府は、ひたすらに北条氏ファーストであり、高時の時代には、北条氏一門で日本の半分を支配していたのだとか。ひたすらに身内や御家人間での権利調整に終始し、保守化、守旧化していったところに幕府滅亡の一因があったのではないかと、筆者は述べている。

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