『鎌倉殿の13人』のネタバレが気にならない方向け
今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を毎週楽しく見ている。源平合戦のおおまかな流れは理解しているつもりだったが、「鎌倉殿」のように北条視点になると、途端に周囲の人間関係がよくわからなくなる。
ということで、なにか良いサブテキストはないものかと探してきたのが、本書、本郷和人(ほんごうかずと)による『承久の乱 日本史のターニングポイント』だ。こちらは2019年刊行。大河ドラマ合わせで出してきたのかと思ったら、ずっと前に書かれていた著作だった。
筆者の本郷和人は1960年生まれの日本史学者。専門は日本中世史で、現在は、東京大学資料編纂所の教授。趣味で見ていた放送大学の専門科目『日本の古代中世』で、中世パートを担当されており、講義も面白かったので、本書も手に取ってみた次第。
本郷和人作品では、こちらの書籍の感想も書いた!
この書籍から得られること
- 承久の乱の流れがわかる
- 承久の乱の歴史的意義がわかる
- 北条時政、義時父子の腹黒さがわかる
内容はこんな感じ
頼朝の死後、権力はいかにして北条氏に簒奪されたのか。北条時政、義時父子の果たした役割とは何だったのか。初期の鎌倉幕府はいかなる政権であったのか。承久の乱はどうして起き、いかにして決着したのか。朝廷による支配が終わり、本格的な武士政権誕生の契機となった承久の乱の発生経緯と、その影響を読み解いていく。
目次
本書の構成は以下の通り。
- はじめに
- 第一章 「鎌倉幕府」とはどんな政権なのか
- 第二章 北条時政の"将軍殺し"
- 第三章 希代のカリスマ後鳥羽上皇の登場
- 第四章 義時、鎌倉の「王」となる
- 第五章 後鳥羽上皇の軍拡政策
- 第六章 実朝暗殺事件
- 第七章 乱、起こる
- 第八章 後鳥羽上皇の敗因
- 第九章 承久の乱がもたらしたもの
- あとがき
鎌倉幕府は全国区の政権ではなかった
高校時代は世界史を選択していたので、実は高校レベルの日本史の知識すらないわたし。本書を読んで、初期の鎌倉幕府が伊豆、相模、武蔵周辺にしか勢力が及ばない、坂東武者による、坂東武者のための地方政権に過ぎなかったことを知り驚かされた。
筆者はこう例える。
- 江戸幕府 完成された世襲官僚組織
- 鎌倉幕府 頼朝とその仲間たち
ちょっと酷い言われようだが、江戸幕府の完成度の高さと比較すると、鎌倉幕府のそれは、お話にならないくらいザックリしたものであったようだ。坂東武者たちにとっては、自分の土地を安堵してくれて、いざというときに庇護してくれるかどうかが最大の懸案事項。
源頼朝の蜂起を、坂東武者たちが支持したのも、それぞれの土地での在地権力の安定、維持、獲得が主目的。朝廷をどうにかしたいとか、国家をどうこうしたいなどという意識はなかったのだ。
筆者は、治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん、いわゆる源平合戦)を、平家VS源氏といった視点だけではなく、朝廷政権VS在地領主の戦いであったとする。この点、先日読んだ伊藤俊一の『荘園』の内容と通じるところがある(先に読んでおいて良かった)。
頼朝が死んでからの鎌倉幕府
源頼朝が没してからの、鎌倉幕府の歴史はあまり知られていないのではないだろうか。二台目頼家の将軍追放、死去。三代実朝の暗殺。そして承久の乱発生と北条家による執権政治の確立。わたしが把握していたのはこれくらい。
本書は、まさにこの頼朝死後から、承久の乱終結までの内容を取り扱っているので、非常に興味深く読むことが出来た。
伊豆国の地方勢力に過ぎなかった北条氏が、頼朝の外戚となったことで、いかにして成り上がり、権力を掌握していったか。本書ではその過程が丁寧に解説されている。梶原景時の失脚、暗殺。阿野全成殺害から、将軍頼家の幽閉、比企氏の滅亡。畠山重忠の乱。牧氏の乱。そして和田合戦。
舐められたら殺す。殺られる前に殺す。だまし討ち上等。子どもだろうが、身内だろうが殺すときは殺す。時政、義時父子の、日本史上でも屈指なのではないかと思われる、権謀術数ぶりが衝撃的である。これ、大河ドラマでこれから見られるのかと思うとワクワクするなあ(笑)。
後鳥羽上皇には勝算があったが……
後鳥羽上皇と言えば、承久の乱の敗者で、上皇なのに隠岐に流されてしまった残念な人。といった印象が強かったのだが、本書を読んで印象を改められた。後鳥羽上皇は政治能力だけでなく、軍事的指導能力にも秀でていた。また、院政期以来の、膨大な荘園領が、その権力を裏支えしており、東国の地方政権に過ぎなかった当時の鎌倉幕府と比較して、まったく引けを取る存在ではなかったのだ。
ところが、いざ承久の乱がはじまると、朝廷側は腰砕け。兵は集まらず、敗戦に次ぐ敗戦を重ね、瞬く間に京都を制圧されてしまう。筆者の分析では、一万数千人の兵を京都に送った鎌倉方に対して、後鳥羽上皇が動員出来たのは千七百人程度。確かにこれでは勝てない。
本書では後鳥羽上皇の敗因として、以下を挙げている
- 西国の守護たちの動員力に限界があった
朝廷支配下にあった、西国の守護はあくまでも、朝廷から任命された役人に過ぎず、地元勢力は守護の家来ではない。故に、任国の兵は動員出来ず。たまたま京都に派遣されていた兵力だけが、やむを得ず、上皇側に従ったに過ぎないのだという説。
- 朝廷方リーダーシップの限界
朝廷側のリーダーである、後鳥羽上皇の権威が高すぎて、味方の有力武将ですら直接会話が禁じられていた。戦時の軍事行動において、これが大きな障害になったと筆者は説いている。
承久の乱が終わり、武士の世がはじまる
承久の乱に勝利したことで、これまで東国の地方政権に過ぎなかった鎌倉幕府は、西国にも影響を及ぼすことが出来るようになった。後鳥羽上皇や、西国守護たちが支配していた巨大な荘園領を没収できたのも大きい。奪った西国の領土には、東国の武将たちが配置され、北条家の権威が全国各地へと広がっていく。上皇ですらも流刑とし、関連した貴族たちは容赦なく処刑。その後の鎌倉方は、皇位継承にまで口を出すようになる。
こう書いてみると、承久の乱のもたらした影響の大きさを実感せざるを得ない。もし、後鳥羽上皇が乱を起こさず、その勢力を維持したままであったなら、鎌倉幕府はその後どうなっていたのかと思うと面白い(元寇の際にもっとボコボコに負けていたかもしれない)。
本郷和人の筆致は、おもしろく、わかりやすくがモットー。ですます調で書かれた本書の内容は、非常に明快で読みやすかった。もちろん、その歴史解釈については、論の分かれるところもあると思うので、公平を期す意味で、わたし的には類書をあと何冊か読んでみる予定だ。