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『幕末単身赴任 下級武士の食日記』青木直己 食レポ日記から幕末の江戸を知る

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幕末の世相を「食」から読み解く

2005年の刊行。最初はNHK出版の生活人新書からの登場であった。

筆者の青木直己(あおきなおみ)は1954年生まれ。有名和菓子店虎屋の研究部門、虎屋文庫で和菓子に関する調査、研究に従事されていた方。虎屋クラスの企業になると、そんな研究部署があるのか。凄いな。

虎屋は既に定年で退職されており、現在は「日本菓子専門学校、東京学芸大学、立正大学などで非常勤講師をする他、時代劇ドラマなどの考証を行なう」とある。

ちくま文庫版は2016年に刊行されている。文庫版は「増補版」と銘打たれており、新書版の発売以降、新たに明らかとなった研究成果が追記された。大幅な加筆修正が施されているので、これから読むなら断然ちくま版であろう。わたしが読んだのもこちらの版である。

幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)

本書はけっこう売れているようで、わたし持っているのは2018年の第十二刷であった。大きな書店では、未だに平積みされているのをよく見かける。

この本で得られること

  • 幕末の食文化について知ることが出来る
  • 幕末の下級武士の暮らしについて知ることが出来る

内容はこんな感じ

万延元(1860)年。紀州和歌山藩。二十五石取りの下級武士、酒井伴四郎は江戸詰めを命じられ、家族を残し旅立つ。初めての江戸での暮らし。薄給の身ながらも、やりくりを工夫して、伴四郎は江戸での暮らしを満喫する。蕎麦、寿司、どじょうに鍋料理と、江戸の名物を堪能。自炊にも取り組み、少しづつ調理道具を揃えていく。幕末の下級武士の暮らしを通して、当時の食文化を振り返る一作。

目次

本書の構成は以下の通り

  • 第一章 江戸への旅立ち
  • 第二章 藩邸と江戸の日々
  • 第三章 男子厨房に入る
  • 第四章 叔父様と伴四郎
  • 第五章 江戸の楽しみ
  • 第六章 江戸の季節
  • 第七章 江戸の別れ
  • 第八章 伴四郎のその後

第七章、第八章は新史料の発見に伴い、文庫版で追加された完全新作パートである。

幕末の江戸は食べ物屋が多い!

主人公、酒井伴四郎(さかいばんしろう)は、非常に几帳面な性格であったようで、その日に食べたもの、その代金、感想を事細かに書き残していた。『下級武士の食日記』では伴四郎の日記を冒頭に紹介し、その内容を解説していく形を取っている。

本書を読んでまず驚かされるのが、江戸の食文化の豊かさであろう。まず、食べ物屋の数が多い!江戸は18世紀の後半には人口が100万人を超えており、その時点で世界屈指の大都市であった。江戸の人口の過半を占めるのは、参勤交代で江戸にやってきた武士たちである。彼らは当然妻子を国元に残しており、食に関しては自分でなんとかしなくてはならない。参勤交代のため、極端な男性過多社会であった江戸は、外食産業が異常に発達することになった。

当時のファストフードであった蕎麦は一杯十六文(約320円)、寿司は一個八文(約160円)と、手ごろな値段で、そこいら中に店や、屋台が出ていたようで、江戸の男たちの胃袋を支えていた。

基本は自炊生活

江戸市中には多数の飲食店が存在していたが、毎日外食していては、下級武士の俸禄では身が持たない。結果として、下級武士たちの食生活は、主として自炊に頼らざるを得ない。江戸に出来て来た伴四郎がまず買い求めたのは、「火箸、土瓶、行平」などの調理器具であった。

当時の江戸は、朝にまとめて米を炊き、それで一日分を賄う。伴四郎らは、上方出身であるためか、昼に飯を炊き、翌朝までそれで賄っていたようだ。飯焚きと汁物は長屋仲間内での交代制。一方で、おかずは自己調達となっていた。

伴四郎が、少しづつお金を貯めて、金属製の唐金鍋(八百十文四分)、薄刃包丁(九百文)、釜(二貫九百四十四文)と、調理道具を揃えていく流れが楽しい(金属はやはり高い!)。

幕末の武士の暮らし

本書では、伴四郎の食レポばかりでなく、日ごろのお勤めについても書かれている。伴四郎の役職は衣紋方。着付けや装束に関する決まり事を、藩主に仕える小姓たちに教える仕事である。

伴四郎が仕えていたのは、紀州和歌山藩。徳川御三家の一つで、現代で言えば、超巨大企業の末端正社員というところだろうか。藩内での地位は低くとも、その暮らしは安定していたようだ。衣紋方の仕事として、町人たちに武士の装束儀礼を伝授する仕事もあったようで、豪商の三井家などに呼ばれては接待も受けている。

直属の上司は、実の叔父、宇治田平三。これが伴四郎とは全く反りが合わなかったようで、本書中でも苦労が偲ばれる。宇治田平三はとにかくマイペースなオッサンで、伴四郎の長屋に出入りしては、作り置いていたご飯のおかずを勝手に食べてしまう(酷い!)。暴飲暴食を繰り返しては、しょっちゅうお腹を壊して苦しんでいたようで、ちょっと憎めない存在である(伴四郎的には迷惑だったと思うけど)。

ふつうの武士から見た幕末の世相

とかく幕末と言えば、やれ攘夷だ、やれ討幕だと殺伐としがちな印象があるが、伴四郎の日記は常に至って呑気である。藩のお偉方が失脚したと言っては噂になったり、異人が来たと言ってはわざわざ横浜まで見物に行ったりする。幕末らしい事件はそれなりに起きるのだが、伴四郎としては「自分ごと」感はなかったのであろう。大多数のふつうの武士にとっては、幕末といっても、あくまでに日々の仕事、暮らしが第一。日常の惰性力はそれだけ大きいのだ。

この点は、御三家で、将軍まで出した和歌山藩所属という事情も大きいかな。幕末人の皮膚感覚は、藩によって、まったく違っていた可能性も大きい。

増補版で追記された、その後の伴四郎だが、なんと第二次長州征伐に従軍している。この際は、銃弾飛び交う中を走り回っており、さすがに命の危険を感じていたようだ。それでも、現地に到着するまでは、途中の名勝地を観光していたりもするので、「緩さ」はどうしても感じてしまう。これじゃ、幕府軍は長州藩に勝てないよね。

江戸の食を愉しむ

以上、ざっくりとではあるが、『幕末単身赴任 下級武士の食日記』を読んで、面白かったポイントをご紹介させていただいた。本書では下級武士、酒井伴四郎(ちなみに年齢は28歳である)の目線から、幕末の江戸を「食」の観点から愉しむことができる。具体的な料理名や、実際の販売価格も明記されているので、江戸を身近に感じることも出来るだろう。この内容であれば、売れるのも納得である。

しかしまあ、酒井伴四郎も、150年も経ってから自分の食生活が、全世界に向けて公開されることになろうとは思っても居なかっただろう。かなり恥ずかしいプライベートも公開されてしまっているので、ちょっと気の毒にも思えてしまう。死ぬ前に日記の類は処分しておくべきだなと感じ入った次第である。

江戸時代をもっと知りたい方におススメ!