「機会」の不平等を描く
2000年刊行。筆者の斎藤貴男(さいとうたかお)は1958年生まれのジャーナリスト。
文春文庫版は2004年に登場。わたしが読んだのはこちら。文庫化にあたり加筆が施されている。
その後、なんと2016年に岩波現代文庫版が刊行されている。ずいぶん息の長い作品となったものである。こちらでは、経年によって変化があった部分の加筆修正に加えて、森永卓郎との対談が巻末に収録されている。
内容はこんな感じ
グローバリゼーションの名の下に人知れず進行していく階層化。ゆとり教育が目指す真の狙い。増加の一途を辿る派遣社員。資本側に飲み込まれていく労働組合。効率化の中で排除されていく弱者。老人福祉は名ばかりのものとなり、学童保育の環境は悪化するばかり。旧時代の遺物と思われてきた優生学がいまふたたび脚光を浴びようとするいま、この国で何が起こっているのか。
教育、雇用、労組、福祉それぞれの世界での不平等
格差社会という言葉が定着して久しい。本書は六つの章に分かれていて、第一章が教育格差の問題、第二章が雇用、特に派遣業界についてのルポ、第三章は形骸化する労働組合の実態について、第四章は老人福祉と学童保育、そして第五章では「機会の不平等」を正当化しようとする竹中平蔵をはじめとする御用学者たちにスポットを当て、最終章では不穏な優生学の復権について紹介し、稿を終えている。
格差の拡大を是とする人々がいる
いずれの章もたいへん興味深い内容なのだが、手を広げすぎて少々物足りない。どの章を取っても一冊本が書けそうな重いテーマばかりなだけにこれは勿体ない。特にゆとり教育の真相に迫った第一章は迫力のある内容だった。
これからの教育は出来ない人間を引っ張り上げることに費やす努力を抑えて、伸びる人間をとことん伸ばそうという教育にシフトしていく。非才、無才はせめて実直な精神だけ養っておいてもらえば良い。なんてことを教育課程審議会の会長(三浦朱門)が正気で語っているのかと思うと背筋が薄ら寒くなってくる。
格差なんて昔からある。人間もともと不平等。と、いうのは格差社会という言葉の流行に対して度々返される言葉で、自分自身そう思ってきた。しかし、その格差を意図的に広げていこうとする層が存在するということは頭に入れておくべきだろう。暗澹たる内容だが、価値のある一冊だと思う。