飯田朔、初の著作集
2024年刊行。Webメディア「集英社新書プラス」に連載されていた記事をまとめたもの。筆者の飯田朔(いいださく)は1989年生まれ。本書が初めての著作となる。
早稲田大学在学中に引きこもりとなり、卒業後は学習塾で七年働き、その後一年間スペインに留学。帰国後はの文筆家として活躍されている方。
本書の発売に伴い、ライターの武田砂鉄との対談記事がネットにあがっていたので、併せてご紹介しておく。
このインタビューで気になった一節を引用しておこう。本書のコンセプトが語られている。
今回書いた「おりる」思想って、競争や「何者か」っていう発想から完全に脱け出して仙人みたいになろうという提案ではなくて、こういう考え方があることを知っておくと、どんな立場にいる人にとっても自分の呼吸を守って生きていくために、少しは助けにはなるんじゃないか、と考えて書いたものです。人生一発逆転をするためのハウツーじゃなく、自分のペースで呼吸しながら人生を歩いていくために大事な杖、というぐらいのイメージです。
内容はこんな感じ
競争社会を勝ち抜いて「生き残れ」、何が何でも「頑張れ!」と叫ばれる昨今の風潮。とかく現世は生きづらい。だが果たして本当にそれでいいのか?大学時代から引きこもり生活をはじめ、社会に馴染めずに生きてきた筆者が説く「おりる」思想とはなにか?自分らしく生きるためにあえて「おりる」ことを提案していく一冊。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 第1部 「おりる」というアイデア
- 「成長物語」を終わらせにきたクマたち―映画『プーと大人になった僕』と『パディントン』
- ぼくたちは生き残らなければいけないのか―深作欣二監督『バトル・ロワイアル』をいま見る
- ちゃんと「おりる」思想
- 第2部 そう簡単におりられるのか?
- 「好き」か「世界」か―朝井リョウの選択
「おりる」って?
本書の中で筆者は「おりる」をこう定義している。
社会が提示してくるレールや人生のモデルから身をおろし自分なりのペースや嗜好を大事にして生きる。
現代人は子どもの頃から良い学校へ、良い会社へと競わされ、社会人になってからはより稼げる仕事、より高い役職をと競わされる。しかし、それはあくまでも社会が決めたルールだ。そんな他者が作った物差しから離れて、自分の心に従い、マイペースで生きることができたらどれだけ楽だろうか?
本書で筆者は、小説作品や映画、他、さまざまな現代思想を例に挙げながら、「おりる」思想とは何かを説いていく。
「おりる」という考え方
本書は第1部と第2部の2部構成となっており、前半の第1部では「おりる」とは、具体的にどのような思想であるのかを説明している。
第1部の第1章で登場するのが映画作品。マーク・フォースター監督によるディズニー映画『プーと大人になった僕』だ。人生において、何者かになるためには犠牲が必要だ。しかしそのために切り捨てた自分の一部が、実は大切なものだったのではないか?
続く、第1部第2章では、高見広春(たかみこうしゅん)の原作を、深作欣二(ふかさくきんじ)監督が映画化した『バトル・ロワイアル』が紹介される。本作は「生き残る」ことを至上命題とするサヴァイブ的な作品だが、その中にあって、深作欣二がたびたび示す「敗者へのまなざし」に注目する。
ちなみに、両作品とも容赦なくネタバレされていくので、未視聴の方はお気をつけ頂きたい。
第1部のラストとなる第3章では「生き残る」ではない考え方。競争主義と対立するもうひとつの思考として「おりる」思想を考えていく。紹介されているのは以下の作品。生き方を考える作品の中から、考えの型、思想を取り出していこうとする趣向だ。
◆
勝山実『安心ひきこもりライフ』。筋金入りのひきこもりで、名人とまで呼ばれる筆者による「レールから外れても生きていけるやりかた」が書かれている。
道草晴子『みちくさ日記』。障害者の社会復帰を描いた内容。社会に規定されたありきたりの在り方で適応するのではなく、あくまでも自分で決めた在り方で生きていこうとする作品。
豊島ミホ『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』。学生時代にいじめを経験。大学時代に作家としてデビューを果たすも、周囲に迎合し自分を枉げた結果、筆を折ることに。社会的な死を経て、本当に自分がやりたいことを決めて、リスタートを果たした筆者が説く「リベンジマニュアル」。
伊藤洋志『ナリワイをつくる』。仕事のために人生を犠牲にしない生き方を説く。
これらの書籍の紹介を通じて、筆者は「生き残る」のではなく「生き直す」ことの大切さを繰り返し語る。いちど失敗したからと言って人生が終わってしまうわけではない。「生き直す」ことで二周目を始めればいいじゃない。人生はやり直せるのだ。
現実は簡単には「おりられない」
本書の前半パートでは「おりる」生き方について紹介がなされてきた。しかし、現実の社会は、そう簡単には「おりられない」。後半パートの第2部では、小説家、朝井リョウの諸作品を読み解きながら、「おりられない」はどこにあるのかを考えていく。
本書の半分を占める第2部は、ひたすらに朝井リョウ作品の考察となっている。筆者は朝井リョウと同じ時期に早稲田大学に在籍していたらしく、それだけに相当の思い入れがあるようだ。こんなことなら朝井リョウ作品をちゃんと読んでおくべきだった(一冊も読めていないわたし)。
「おりられない」理由は、人生における夢であったり、理想であったり、はたまた自分を取り巻く世界(環境)であったりと様々だ。朝井リョウ作品では好き(自分の中にある替え難い感性)と世界(社会で支配的に作用しているルールや風潮)が対立し、葛藤の果てに「好き」が選ばれる。世界ではなく「好き」が選ばれることで、人は自然に世界から「おりる」ことが出来るのだと、筆者は読み解く。
逆に言うと世界から「おりる」ことが出来ても、自分の中の「好き」からは「おりる」ことが出来ない。
第二部は「おりる」思想を考えるという点よりも、朝井リョウ作品を語ることにバランスが振れていて、朝井リョウを読んでいないと、かなりモヤモヤした気持ちにさせられる。わたしは朝井リョウ作品を読んだことが無いので、この指摘がどれだけ正鵠を射ているのかは判断がつかないのだ。そろそろ朝井リョウ作品を読んでおくべきなのだろうか。
いろいろある「おりる」本
ちなみに「おりる」をテーマにした作品は他にいくつもあった。気になるのでこちらも読んでみようかな。