暮らしを見つめ直す一冊
2021年刊行。筆者の大平一枝(おおだいらかずえ)は長野県出身の作家、ライター。「市井の生活者を独自の目線で描く」エッセイを多数書かれている方。
代表作は朝日新聞デジタルに連載されている「東京の台所」シリーズだろうか。
序文の「十年前は想像していなかったいまの自分」を読む限りでは、2011年に大平一枝が上梓した『もう、ビニール傘は買わない。』に対しての、10年後のアンサー本的な側面があるみたい。
本書はWebメディアの「北欧、暮らしの道具店」「朝日新聞デジタルマガジン&w」や、婦人之友社の雑誌「かぞくのじかん」などに掲載されていたエッセイ群を、大幅に加筆修正、さらに書下ろし作品も加えたうえでまとめたもの。
内容はこんな感じ
歳月が流れ、人生のライフステージが変わり、家族が成長していく中で、人の暮らし方や価値観はつねに変わっていく。「自分にフィットする暮らしのありようを求めて、石のようにどんどん転がっていけばいい」。かくあるべき。こうでなくてはならない。そんな思いを手放して、もう一度、自分の現在地を確認しなおしてみてはいかだろうか?
目次
本書の構成は以下の通り。
- 十年前は想像していなかったいまの自分
- 1章 待つほうが案外うまくいく
- 2章 買う、選ぶ、手放す。モノと付き合う
- 3章 人付き合いの快適な距離と温度
- 4章 自分を養生する
- 5章 育ちゆく日課表、住まいクロニクル
- おわりに
考え方ってけっこう変わる
『ただしい暮らし、なんてなかった』で筆者が言いたいことは、序文を読めば事足りるようになっている。
みんな、生きている途中だ。自分にフィットする暮らしのありようを求めて石のようにどんどん転がっていけばいいと思う。変わることをとめずに。
『ただしい暮らし、なんてなかった』p6より
これに尽きる。人間、年を取れば取るほどに、考え方が硬直化し柔軟性を失っていく。若いころの成功体験に固執し、古くなってしまった価値観を手放せなくなっていく。しかし年齢や環境の変化によって、考え方は変わって当然だし、むしろ現状に適したもの変わっていくべきなのだ。本書ではそう説いている。
各編の末尾には「かつて」の筆者の考えと、「いま」の筆者の考えが併記されており、いかなる変化が起きたのかが確認できるようになっている。この点、自己啓発本っぽくて、こうしたエッセイ本としては珍しい趣向だと思う。
以下、いくつか気になるポイントを紹介していこう。
時間が経過することでわかることもある
一章の「待つほうが案外うまくいく」では、時間が経つことで、待つことで物事が解決した事例が紹介されている。こじれていた人間関係が、十五年音信を絶っていたら、意外にも復活した。すぐには片付かない問題は、無理に解決しようとしないで、棚上げしてしてしまっても良いのでは?
この章は、昨今もてはやされている、時短、便利、はやい、簡単といった価値観へのアンチテーゼともなっている。せわしくなく生きている現代人にとって、ちょっと立ち止まって考え直してみるきっかけを与えてくれる。
相手のすべてを知る必要はない
三章の「人付き合いの快適な距離と温度」は人間関係編だ。家族、友人、職場。社会的生物である以上、わたしたちは人間関係の摩擦から逃れることは出来ない。とはいえ、人付き合いには相性というものがあって、すべての人間とうまくやっていくとは出来ない。相手のすべてを知る必要はないし、自分のすべてを分かってもらう必要もない。同じ気持ちである必要もない。
この章では筆者の体験例として、大勢で会うことを辞めた話。どうしても合わないと感じた相手から逃げた話。などが紹介されている。自分ではない他者と完全に理解しあうことは無理なのだから、適度な距離を取って、自分を守りながら人付き合いをしていけばよいのだ。
全てに共感できる必要はない
ここからはわたしの所感になるが、本書のような暮らし方、生き方、考え方を披露しているタイプのエッセイは、読む側が必ずしも全ての項目に共感できるとは限らない。筆者は作り置きがあまりお好きでないようだが、わたしは断然作り置き派だし、冷蔵庫の保存容器は別にガラス製に限る必要はないと思っているし、その他、賛同できない点が多々出てくる。仙川駅前の120平米の部屋(家賃メッチャ高そうである)をあっさり手放して、賑やかな下北沢に転居してしまう価値観も理解できない(元仙川住民のわたし)。
とはいえ、こうした細々としたライフスタイルの不一致は人づきあいの中では当たり前の話。自分との違いに目くじらを立てるのではなく、いいなと思える点、これは共感できるとお思える点が、少しでもあればそれを取り入れて、折り合いをつけていけば良いのだと思う。