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『幸福な監視国家・中国』梶谷懐・高口康太 最新事情から考える監視社会の行く末

中国の最新事情から考えるこれからの監視社会

2019年刊行。本書は、梶谷懐(かじたにかい)、高口康太(たかぐちこうた)の二名体制で執筆されている。梶谷懐は1970年生まれ。神戸大学大学院の教授。現代中国経済に関する著作がいくつかある。一方の、高口康太は1976年生まれのライター、翻訳者、ジャーナリスト。中国のネット社会に詳しい人物である。

本書は全七章で構成されているが、そのうち第一章と第五~七章を梶谷懐が担当し、第二~四章を高口康太が担当している。高口パートでは、中国の最新事例が紹介され、それを元に梶谷パートで考察を深めていく形式を取っている。

内容はこんな感じ

世界屈指のIT大国として独走する中国。習近平体制下のこの国では、政府や大企業による個人データの収集が進む。先進的なAI、アルゴリズムが、かつてない利便性を国民に与える反面で、深刻な監視社会という問題を招いている。中国では今何が起きているのか?その歴史的背景は?デジタル統治の実験場と化している新疆ウイグルの実例を元に、その危険性と世界に与える影響を読み解く。

中国の監視社会はどこまで進んでいるのか?

中国のデジタル化が圧倒的な速度、規模感で進行している点については、以前に紹介した『アフターデジタル』『アフターデジタル2』『デジタル化する新興国』などにも書かれていた。本日ご紹介する『幸福な監視国家・中国』は、そんな中国における監視社会のリスクについての考察をまとめたものである。

ITを駆使し、多少のリスクはものともせず、瞬く間に新しい技術が社会実装されていく中国。それはどうして可能なのか?どんな利点があり、そしてリスクはどこにあるのだろうか。

以下、各章ごとに振り返っていきたい。

第1章 中国はユートピアか、ディストピアか

まず最初に、中国の監視社会について、日本人が抱きがちな誤解、偏見についてスポットを当てる。日本とは全く異なる別個の存在であると見なしがちな中国ではあるが、共通する課題も多い。

本書では、テクノロジーの進化による監視社会化の流れは止められないとしながらも、GAFAなどの超巨大企業や、国家による情報管理をいかに市民(社会)が監視していくか。それが肝要であると説く。ただ、この監視機能を、共産党支配下の中国に望むのは無理がありそう。

また、日本でもここ十年で一気に監視カメラの数が増えたのは、実感値としてお持ちの方も多いのではないだろうか。監視社会化の流れは、中国だけに限った話ではないのである。

利便性や安全性のためであれば、ある程度の個人情報の提供もやむを得ない。これは中国に限らず、日本でも現在進行形で生じている課題である。

それでは中国の特異性はどこにあるのか?本書では、中国独自の市民社会基盤や、公共性についての考え方、社会統治のあり方まで検証する必要があるとして、この章を終えている。

第2章 中国IT企業はいかにデータを支配したか

第二章からは具体的な中国でのIT事例の紹介パートである。

アリババやテンセントの台頭。シェアサイクル。ギグエコノミー(滴滴出行、ウーラマ、美団点評、フーマー)。アリペイやウィーチャットペイなどの決済系スーパーアプリなど、中国では次から次へと新しいITサービスが勃興している。

これらのサービスが普及する中で、人々は個人情報を提供することで利便性を得ている。中国の消費者はプライバシーが保証される前提で、個人データの利用を許し、便利なサービスを受けることに積極的な姿勢を見せている。決してプライバシーの切り売りに無自覚なわけではないが、利便性の方が遥かに上まっているので問題視していないといったところだろうか。

課題としては、AIによる判別の仕組みがブラックボックスで一般人には理解できない点。提供した個人情報によって意図しない広告が表示されるケース。また、犯罪にデータが流用されるリスクが常につきまとう点を指摘している。

第3章 中国に出現した「お行儀のいい社会」

少し前の中国はうかつに買い物もできないし、タクシーにも乗れない。信用面では不安の大きい国であった。これがIT化の流れで激変している。全ての行動が記録され、他者から参照できるようになると、行いの悪い人間には仕事が集まらなくなる。

配車アプリの営業成績が記録されることで、一般人は安心してタクシーに乗ることが出来るようになったし。AI監視カメラの普及で中国での犯罪率は激減しているという。アリババグループが運用する、社会信用システム「芝麻信用」は、人々の行動を点数化して信用に反映させてもいる。

勧善懲悪。日々の行動が見える化したことで、現在の中国はかつてない「お行儀のいい社会」に変貌してしまっているのである。

第4章 民主化の熱はなぜ消えたのか

この章では、中国における検閲問題を取り扱う。中国では一律接続を遮断してしまうようなハードな検閲とは別に、さまざまな検閲の手法が発達している。

なぜか拡散(TwitterのRTのようなもの)ができない。投稿者には見えるが閲覧者には見えない。都合の悪い検索結果を見えなくしてしまう「不可視化」などなど、ソフトな検閲手段の数々が用意されているのだ。

また、膨大な数のネット監視員が存在し、目視でのチェックも日常的に行われているようで、この点はかなり怖ろしいと感じてしまう。

中国では2010年代の冒頭、ウィーチャットなどのネットツールの発展で、政治に対して一般人が声を上げる流れが一時的に盛り上がっていた。しかし、習近平の登場後は、共産党本体が進んで「反腐敗キャンペーン」を断行したこと。並行して、ネット世論の封じ込めを行ったことで、現在はこの流れは下火となっている。

第5章 現代中国における「公」と「私」

第四章までは中国IT社会の実情が紹介されていたが、ここから先は観念的な内容になる。本書の肝はここからである。テクノロジーを通じた統治と市民社会について。中国の歴史的背景を考慮に入れながら考察していくのである。

西洋社会における法は「ルールとしての法」。普遍的なルールが抽象された形で存在しており、それが個別案件に強制的に適応されていく。

これに対して、中国社会の法は「公論としての法」。個別案件において、公平な裁きを実現していくものであると本書では説かれている。

案件ごとの公平さが要求されるために、裁きを行えるのは有徳の人物だけである。そして貧富の差が拡大していく現代の中国にあって、所得の再分配を行えるのは中国共産党である。儒教的な思想が、共産党の支配に上手く組み込まれている。

第6章 幸福な監視国家の行方

この章で登場するのが功利主義の考え方である。要素は以下の三点。

  • 帰結主義 行為の正しさは結果に担保される
  • 幸福(厚生)主義 善悪は個人の主観で決まる
  • 集計主義 社会状態や行為の良しあしは、個々人の幸福の総量で決まる。

要は「便利ならそれでいいじゃない」といった考え方だろうか?

功利主義に基づいて、道徳的な判断をもAIに委ねようとしているのが現代の社会である。

しかし、単純な功利主義は「道具的な合理性」を追求しがちで暴走を伴う。故に、より高い視点から妥当性を判断する「メタ合理性」が求められると筆者は説く。

AIの問題点として、本書では以下を指摘している。

  • AIの認知バイアス
  • AIの蓄積、判断がセグメント単位で行われる
  • AIの意思決定がブラックボックス

これらAIの課題に対しては、市民側が常に逆監視の目を光らせておく必要がある。ただ、市民的な公共性の基盤が脆弱な中国ではこの監視は機能しないだろうと本書は説く。

中国で隆盛を極めているITの社会実装は、その利便性ゆえに、全世界へ今後遠からず波及していくことが避けられない。中国で起きている問題は、いずれ日本でも課題となる。中国は特殊だからと線を引いて終わりに出来る話ではなく、自分事になる時期がすぐそこまで来ているのである。

第7章 道具的合理性が暴走するとき

最終章は、中国のIT統治の実験場となってしまっている、新疆ウイグル自治区の過酷な実情が示される。再教育キャンプという名の強制収容所。情報統制。スパイウェアアプリの実装義務付け。DNA登録。移動、通信の履歴管理。実におぞましい限りである。まさに、ウイグルでは「道具的合理性」の暴走が既に起きているのだ。

中国では政府共産党に対して、監視やチェックの役割を担う存在が居ない。そのために「道具的合理性」が用意に暴走しうる。このリスクは中国だけに限った話ではないと本書は繰り返し説く。

このリスクへの対策は、「テクノロジーの導入による社会の変化が望ましいことなのかどうかを絶えず問い続ける姿勢を維持する」として本書は最後に主張している。

監視社会のリスクは日本にも

以上、雑ではあるが『幸福な監視国家・中国』の内容を振り返ってみた。第五章、第六章の考察は非常に読み応えがあるので、気になる方は是非書籍を読んでいただきたい。

監視カメラに限らず、日本国内でも利便性と引き換えにプライバシー情報を差し出すケースは日々多くなっている。政府がやっきになっているマイナンバーカードの普及活動はその筆頭に挙げられるだろう。

われわれ、一般人としては、安易な便利さに流されず、リスクを常に考慮して動く事。これはおかしいと思った事柄については積極的に声を上げていくことが大切なのではないかと思われる。と言っても、これがまた難しいことではあると思うのだが。

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