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『流言のメディア史』佐藤卓己 「ポスト真実」時代のメディア・リテラシーとは?

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流言から歴史を読み解く

2019年刊行。筆者の佐藤卓己(さとうたくみ)は1960年生まれの社会学者、歴史学者。京都大学大学院教育学研究科の教授。専門はメディア史。2020年には紫綬褒章も受章している。

流言のメディア史 (岩波新書)

内容はこんな感じ

1938年。オーソン・ウェルズによるラジオドラマ『宇宙戦争』は、その迫真の内容から多くの人々が火星人の襲来を信じパニック状態に陥った。メディアに流言の嚆矢として名高い本事件を皮切りに、関東大震災のデマ、戦前の怪文書、戦後の第五福竜丸問題等、現代史に登場したさまざまな流言の数々を紹介。

「バックミラーをのぞきながら前進する」。フェイクニュース全盛の現在のメディアリテラシーの在り方を読み解いていく。

 メディアリテラシーが問われる今だから読みたい

ここ数年インターネット発のフェイクニュースが世間を騒がせている。数年前のイギリスのEU脱退決議。アメリカのトランプ大統領誕生。この際のフェイクニュースの蔓延ぶりには猛烈なものがあった。かつてはそんなわけはないだろうと一笑に付していたフェイクニュースの類が、現実世界に影響を及ぼすようになっている。

現在では世界のネット化が急速に進み、誰もがひとり一台のネット端末を持つ。そして誰もが自由に発言を世界に発信できるようになったのである。こんな時代に問われるのは、嘘を嘘と見抜くことが出来るリテラシーの存在であろう。

本書では、メディア発の流言の具体例を数多く紐解きながら、当時の人々がどうして騙されてしまったのか。何故それを防ぐことが出来なかったのかを振り返る。メディア流言から近代日本史を考えていくことで、現代の学びへとつなげていく。

それでは各章を簡単にご紹介していこう。

第1章 メディア・パニック神話

最初期のメディア流言として紹介されるのは、1938年。オーソン・ウェルズによるラジオドラマ『宇宙戦争』である。このラジオドラマを多くのアメリカ人が真実と信じ込み、存在しない火星人に対し、ある者は逃げまどい、また恐怖し、ある人は武装して待ち構えたとされる。

しかしこの事件は、騒動が大きくなりすぎて「神話」として独り歩きしてしまっている側面があると筆者は指摘する。

本章では『宇宙戦争』神話を解体する。その過程で、マスコミの力は甚大で、民衆に対して強力なコントロール力を及ぼせるとする「弾丸効果論」と。実際にはその力は大したものではないとする「限定効果論」を紹介する。

『宇宙戦争』事件で実際に起きたのは電話の回線パニック程度で、それ以外の事象は実際にはすべて新聞によるメディア流言であったと本書では結論付けている。『宇宙戦争』のラジオ放送そのものが直接的にもたらした問題ではなく、その後の新聞を主とした報道機関の暴走こそがメディア流言であったとする視点が興味深い。

また、筆者は、メディアの流言に影響を受けやすい人物として以下のようなタイプを挙げている。

  • 情緒不安定な人
  • 恐怖症的なパーソナリティを持つ人
  • 自信が欠如している人

この点は、現在の実例と比較して考えてみると何となく、腑に落ちるところがある。

第2章 活字的理性の限界

ここからは日本国内の事例である。まず登場するのが、史上名高い1923年の関東大震災発生時の朝鮮人虐殺へと繋がるデマである。

関東大震災では都内の大手新聞社は全て社屋が消失したため、震災直後は新聞の発行が行えなかった。結果として、流言は主として「口コミ」で広まっていく。

この時期からラジオの普及が始まる。ラジオは新聞と異なり一瞬で事態を伝える能力がある。新たなメディア流言の発生源として、その後重要な役割を果たしていくことになる。

第3章 怪文書の効果論

この章では、戦前に蔓延った怪文書の効用について言及されている。

紹介されているキャッスル事件とは、現在ではあまり聞きなれない言葉だが、1930年、駐日アメリカ大使であるキャッスルが、日本国内の新聞社買収に動いたとされるデマである。三流のタブロイド紙から始まったこの流言は、当時の右翼的勢力を大いに刺激し、結果として一流紙(朝日、毎日、時事新報)に対する庶民の信頼性を大きく損ねることになった。

このあたりから、日本の大手新聞社は、大衆を啓蒙する立場から、大衆世論を反映する存在に堕していく。

第4章 凝史の民主主義

この章で紹介されるのは二二六事件発生時の流言蜚語である。事件発生時、決起部隊は新聞社を占拠し、それに対して内務省や憲兵本部側は事件の報道を禁止した。ラジオ局も同様に統制下に置かれたため、一般市民には情報が届かず、数多の流言蜚語が発生したとされる。

危機状況は流言を伝達する個人を潜在的公衆とし、流言に接する人々の公的関心を強化する。
流言は匿名。つまり無責任の情報でありながら、情報不足を補って解釈する個人にとっては社会への参加感覚を体験できる契機となる。

当時の社会学者清水幾太郎「流言蜚語」からの考察が印象に残る。

第5章 言論統制の民意

この章ではいよいよ太平洋戦争下の戦時の情報統制について言及される。大本営発表の名で流布される国家レベルで行われる情報統制。それを当時の日本国民は決して、額面通りには受け止めていなかった。

検閲の厳格さと流言飛語の量は正比例する。流言飛語の量は公共メディアの信頼度と反比例するとの指摘が実に面白い。

第6章 記憶紙の誤報

少し時代が飛んで、ここでは2014年の朝日新聞慰安婦誤報問題が紹介されている。2014年8月5日。朝日新聞社はこれまでの慰安婦報道の誤りを認めた「慰安婦問題をどう伝えたか 読者の疑問に答えます」を掲載し大きな反響を巻き起こした。

メディアはどうして誤報を流してしまうのか。そこには、新聞社間での部数競争があり、正確さよりも興味を優先する消費者がいる。ここに事実よりも読者への効果を重んじるジャーナリズムの姿勢が生まれてしまう。これは、現在でも変わっていない大事な指摘であろう。

第7章 戦後の半体制メディア

戦後日本メディアは軍部からの影響力から逃れることが出来たが、新たな検閲者としてGHQが登場する。アメリカ公認の大平洋戦史観が流布されていく時代なのだ。

この時代軍部は悪とされ、国民は騙された被害者とされる。しかし、当時の国民ですら大本営発表の欺瞞は想定の範囲内であった筈だ。しかし軍部を悪と断じることで、国民は被害者のポジションに安住することができる。そんなGHQ側の目論見もあったのであろう。

戦後のGHQメディアであるラジオ「眞相はかうだ」で語られる、アメリカ視点の戦争の真実。そして、共産党系のカストリ雑誌(闇市メディア)「眞相」によるデマの数々。

「眞相」があまりにデマばかりを流すので、民衆は真相とは「疑うもの」であるとの認識を持つに至ったというのは笑えない話である。

「眞相」はその後「真相」と名を変え、それを歪んだ形で継承したのが、保守系の週刊誌「週刊新潮」だとする指摘には驚かされた。

第8章 汚染情報のフレーミング

フレーミングとは、ある事件が発生した際に、特定の視点をはめ込み報道することである。具体例としては、東日本大震災の原発事故で起きた、福島県の風評被害問題が挙げられる。当時の報道は、原発による放射能問題よりも、それによる風評被害を主として記事化したとされる。風評被害というフレームから事件を切り取ることで、放射能を恐れたり、現地の作物購入を控えることは「非合理的」「加害的」であるとの意味が付与されてしまう。

このフレーミングの視点から、この章では1954年、アメリカのビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸。そして水爆実験によって生まれた「汚染マグロ」について、数多の風説を紹介している。

兵器である原水爆は悪とする風潮が高まる中、平和利用である原子力発電は善である。そんな世論誘導が強まっていくのも、現在の原発を巡る諸問題を考えるとなんとも感慨深いものがある。

第9章 情報過剰社会の歴史改変

最終章はヒトラー神話から読み解くメディア史である。弁護の余地が全くない、絶対悪としてのヒトラーとナチス。彼らが存在したが故にドイツ国民は道を誤った。これはかつてのドイツ国民が圧倒的にヒトラーを支持したことを考えると歴史改変ともいえる、解釈の誤りである。

現代でも独裁的な人物が登場するたびに、〇〇のヒトラーであるといった言説がなされることがある。これは、実はナチスがやってきたことと同義なのではないか?一方的なナチス批判はナチスと変わらない。ヒトラー神話は道徳的に断罪して済む話でなく、知的に理解することが求められているとして、筆者は本稿を終えている。

メディア流言はなくならない

以上、戦前から現代に至るまでのメディア流言の歴史を本書の流れと共に振り返ってみた。新聞からラジオ、テレビ、そしてネットへ。メディアの影響力は強さを増している。時として情報としての心地よさが、情報の正確性に優先されてしまう。恣意的な情報に騙されずに、正しい判断をするにはどうすればいいのか。

筆者は云う。「バックミラーをのぞきながら前進する」と。過去の日本人が、いかなるメディア流言に接して来たのか。「バックミラーのぞく」ための一冊として、本書は適切かと思われる。

そして「前進」するためにはどうすればいいのか。

メディア流言がこれからも溢れていく前提の中で、それでも信頼できるメディアを育てていく覚悟が必要であると筆者は説き。読む力だけでなく、読み書きの力。発信する力。あいまいな情報に耐える力が必須であるとしている。

現代人はメディアなしで生きていけない。故に、騙されないためのリテラシーを培うことは、わたしたちにとって必須のスキルではないかと思われる。そのためにはおかしいなと感じた時は、立ち止まって考える。本当にそれは正しい情報なのかと考える癖をつけておきたいものである。

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