繁田先生の本が面白い
2010年刊行。筆者の繁田信一(しげたしんいち)は1991年生まれの歴史学者。
2004年に吉川弘文館から出た『陰陽師と貴族社会』が最初の著作。以後、平安朝に関連した著作を二十作以上、世に送り出している。
大河ドラマ『光る君へ』にハマっているわが家。他の時代と比べて圧倒的に足りていない平安時代の知識を求めて、あれこれ関連書籍を読みふけっている。
先日このブログでも紹介した『殴り合う貴族たち』が面白かったので、引きつづき繁田信一作品を読んでみることにした次第。
内容はこんな感じ
紫式部の父親、藤原為時のような中級貴族たちはどのような日々を過ごしていたのか。受領の職を求めて奔走し、受領となってからは上級貴族たちからたかられ、時には悪事への誘惑とも戦う。日々の研鑽は怠らず、時には同好の士と酒を酌み交わす。藤原明衡による、平安時代の書簡集『雲州消息』をネタ元に、平安時代の中級貴族たちの実情を読み解いていく。
目次
本書の構成は以下の通り。
- 序章 紫式部が見ていた父親の背中
- 第1章 酒を酌み交わす詩人たち
- 第2章 たかられる受領たち
- 第3章 忙殺される中級貴族たち
- 第4章 気位を高く保つ文章家たち
- 第5章 さまざまな専門家を頼る王朝貴族たち
- 第6章 悪徳の誘惑と闘う受領たち
- 第7章 研鑽を怠らない学者たち
- 第8章 息子の将来を心配する父親たち
- 終章 紫式部の父親を見る眼
『雲州消息』から平安の中級貴族たちを垣間見る
以前に読んだ『殴り合う貴族たち』では、藤原実資(ふじわらのさねすけ)の『小右記(しょうゆうき/おうき)』からエピソードを拾っていた。一方、本書『紫式部の父親たち』では、平安時代の中級貴族で、文章博士、大学頭などを務めた、藤原明衡(ふじわらのあきひら)が遺した『雲州消息(うんしゅうしょうそく)』がネタ本となっている。
『雲州消息』は当時の貴族たちが書いた手紙200通以上を収録した書簡集で、とかくしきたりや前例を重んじる当時の貴族たちには重宝されていたものであるらしい。タイトルにある「雲州」は、藤原明衡が出雲守を務めていたことに由来する。
中級貴族といっても、ピンからキリまであるところだが、本書で扱うのは文人貴族と呼ばれるような、深い教養があり官僚としても優れた能力を持った人物たちだ。例を挙げるなら紫式部の父親である藤原為時(ふじわらのためとき)あたり。才幹があり、文化的レベルも高かった彼らだが、公卿になれるほどの身分ではない。そんな中級貴族たちの日常的な悩みや、葛藤を、彼らの書いた手紙文の中から読み取っていこうという趣向だ。
受領はつらいよ
中級貴族たちにとって、受領(ずりょう)は美味しい仕事だ。都を離れ地方に赴かなければならないが、その実権と役得は大きく、その気になれば不当な収入を得ることもできる。『光る君へ』でも筑前の受領となった藤原宣孝(ふじわらののぶたか)が、金満状態で帰京していたシーンは印象に残っているのではないだろうか。実際、その気になれば受領はかなり稼げたようで、帰京後、別荘を構えるまでの財を成した貴族も存在した。
とはいえ、もちろん受領は楽なことばかりではない。『雲州消息』では、受領となった文人貴族たちのさまざまな苦労が綴られている。稼げる受領には、上級貴族たちが金をよこせと迫ってくる。女童の服が欲しい、従者の里帰り費用を工面して欲しい、皇族の食い扶持も確保して欲しいと、とにかくありとあらゆる金の無心が寄せられるのだ。
受領は不正に手を出せば儲かるかもしれないが、後始末をうまくやらないと窮地に追い込まれてしまう可能性もある。難しいのは後任への引継ぎだ。受領の任期は四年。引継ぎの際には後任者から解由状(げゆじょう)と呼ばれる書類を朝廷に出してもらう必要がある。解由状は、失策や不正が無かったことの証明書で、これがもらえないとその後の評価に響く。『雲州消息』では、不正がバレて、横領した分をあとから弁済している貴族の姿も描かれており、どの時代もセコイ奴はいるものなのだと笑ってしまった。
紫式部の婚期が遅れたのは為時のせい?
紫式部の結婚年齢は20代中盤。10代半ばで結婚する貴族女性もふつうにいた時代だから、これは相当に遅い結婚だ。晩婚の理由を本書では、父親の為時が無官で収入がほとんどなかったからだと指摘している。当時は婿取り婚で、結婚した男性は妻の家で暮らす。そのため妻側の経済力はきわめて重要で、貧乏だった為時の娘に、貰い手がなかったことは容易に想像が出来る。
紫式部が父親たちのような文人貴族をどのように捉えていたかは、『源氏物語』の第21帖「少女(おとめ)」で、光源氏の息子である夕霧の元服の場面に垣間見ることができると筆者は説く。この場面では文人貴族たちのちょっと情けないありさまが描かれており、現実の彼らはけっこう面倒くさい人間であったのかもしれない。
みんな、中級貴族の娘だった
本書を読んで面白いと思った指摘は、紫式部であれ、清少納言(父:清原元輔)であれ、和泉式部(父:大江雅致)、赤染衛門(父:赤染時用)、藤原道綱母(父:藤原倫寧)、菅原孝標女(父:菅原孝標)と、平安朝の文学史に名を刻んだ女性たちは、いずれも父親が中級貴族だったとする点だ。彼女たちの父親は、高い教養を持っていたがゆえに、娘たちもその恩恵を受けることができた。一方で、上流貴族の娘たちのような恵まれた生活はできなかったであろうから、反動としての自己実現が文学の面に発露したのではないかと本書は結ばれている。
中級貴族たちの生態を知ることで、平安朝の女流文学者たちの日々の姿も垣間見ることができるのではないか。本書からそんな楽しさも見出すことができる。
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