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『熊を殺すと雨が降る』遠藤ケイ 失われゆく山の民俗学

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四半世紀以上前に書かれた良作

1993年に岩波書店から『山に暮らす』として刊行された作品。筆者の遠藤ケイは1944年生まれの作家。民俗関連の著作多数。本作はその中でも最初期の作品ということになる。

後に2002年に山と渓谷社から『熊を殺すと雨が降る』のタイトルで再刊された。


 

今回わたしが読んだのはその文庫版となる。2007年刊行。こちらはちくま文庫からの登場である。

内容はこんな感じ

過酷を極めた山での生活。木を伐り、炭を焼き、山獣を狩り、魚を捕り、山菜を摘む。山岳地帯で暮らす人々には生きていくための様々なノウハウが受け継がれていた。極限までに研ぎ澄まされた現実主義と、山の神々への敬意と畏れ。急速に失われつつある山の民俗にスポットを当て、文明に冒された現代人に警鐘を鳴らす一冊。

「山の仕事」

本書は四章構成に分かれていて、最初の一章が林業従事者の業態をまとめた「山の仕事」である。まずこれがものすごい。

木を一本伐るにしても、伐ってよい木なのか、いかにして切り倒すべきなのか、どのようにして山から下ろすのか。判断すべきことは山ほどあり、それらにはマニュアルや手引書があるわけでなく、経験と勘がすべて。

木を伐採する杣。木材に加工する木挽き。そして1トンにもなろうかという木材をただ一人で下界に下す究極の重労働木馬(キンマ)。昭和のつい最近まで当たり前に存在していた山の光景が非常に衝撃的だ。とりわけ、人力を使わず、人工的に貯めこんだ水の力で大量の木材を一気に下界に落とす「鉄砲」という技術の凄まじさには圧倒された。現在こうした技術はどれくらい残されているのだろうか。

「山の猟法」

第二章は「山の猟法」。熊撃ちからはじめて、鹿、猪など、野生獣を狩るためのさまざまなノウハウを紹介。おもしろかったのは「わらだ猟」。野兎は飛来物を見ると猛禽類と勘違いして雪に潜る性質があり、これを応用して丸く編んだ巻き藁を投げて、野兎を潜らせ捕獲するもの。

「山の漁法」

第三章は「山の漁法」。一つの漁場を狩り尽くさない。絶妙のバランスを保った、自然との間の取り方に感銘を受け、知恵と技術が渾然一体となった漁法の数々に驚かされる。手掴み漁なんて、もはや神の領域だあろう。山椒の実を煮詰めて川に流す毒流し漁。巨石をハンマーで叩いて衝撃波で魚を失神させる石がち漁。凍結した川を割り砕き、半冬眠状態の魚を根こそぎ捕えるザイボリ漁等など、いずれも失われつつある技術なのだそうで、人間の知恵の奥深さにただただ驚嘆。

「山の食事」

第四章は「山の食事」。基本的になんでも食べる。兎は丸々一匹骨まですりつぶして全部食べるし、魚も山菜も虫だって食べる。耕作できる平らな土地がそもそも存在しない山岳地で、いかにして人間は日々の糧を得ていたかという話。結局のところ平地に比べて過酷な環境であることは間違いないわけで、奇麗ごとではない生きるために食べることの重さを強烈に感じさせられた。

現代ではどの程度、伝承されているのか?

本書はイラストが豊富。文章も平易でわかりやすく、現代人が想像しにくい山の暮らしを臨場感、色彩感覚豊かに示してみせてくれた労作である。これは文庫にして末永く残すべき本だと思う。

結局のところこれほどまでに多様な知恵が出てくるのは、そこまで考え抜かなければ生きていけなかった。山の暮らしがそれだけ過酷であったことの裏返しな訳で、この国が豊かになっていくのと反比例して、山の技術が失われていくのは宿命としてやむを得ないことなのかもしれない。本書の刊行から既に四半世紀を経ている、失われたものはもっと増えている筈である。

山の暮らしを離れてなお、自然に対しての敬意を持ち続けることは難しい。現代人が忘れがちな、自然の中で生かされている自分という認識を思い起こさせてくれた良書であった。