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『マニ教とゾロアスター教』山本由美子 消えた宗教と生き残った宗教

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山川の「世界史リブレット」が面白い!

1998年刊行。筆者の山本由美子は1946年生まれの歴史学者。専攻は古代イラン史、ゾロアスター教史。川村学園女子大学文学部史学科の教授。

マニ教とゾロアスター教 (世界史リブレット)

山川出版社の歴史叢書「世界史リブレット」の一冊。以前、姉妹シリーズの「日本史リブレット」から、桜井英治の『破産者たちの中世』をご紹介した。

山川出版社の「リブレット」シリーズは1テーマ(もしくは人物)語り切り。一冊100ページ以下と新書の半分程度のボリュームしかない。その分物足りないと感じる場合もあるのだが、特定のテーマについて手っ取り早く概要を掴みたいときには便利なシリーズと言える。

この書籍から得られること

  • マニ教がどんな宗教であったのかがわかる
  • ゾロアスター教がどんな宗教であったのかがわかる
  • マニ教がどうして衰退したのかがわかる

内容はこんな感じ

三世紀のササン朝ペルシャにはじまり、最盛期には北アフリカから中国に至るまで。広大な地域で隆盛を極めた世界宗教マニ教。この宗教はいかにして生まれ、布教され、そして衰退していったのか。同じくペルシャ地域所縁の宗教であり、現代まで命脈を保ったゾロアスター教と対比しつつ、その興亡の歴史をたどる。

目次

本書の構成は以下の通り。

  • 消えた宗教と生き残った宗教
  • 1イラン人の信仰と世界観
  • 2マニ教の成立と信仰の特色
  • 3サーサーン朝におけるゾロアスター教正統の確立
  • 4マニ教の発展と消滅

マニ教ってよくわからない

本書の扉にはまずこう書かれている。

だれでも耳にしたことはあるが、実際上なんなのかはまったくわからない、といったものがこの世界にはたくさんある。マニ教という宗教はこのような例の一つであろう。

わたしは高校では世界史を選択していて、大学受験も世界史で乗り切った人間だけれども、マニ教が何なのかを説明せよ!と言われると、おそらく困ってしまうと思う。

三世紀、ササン朝ペルシャ(現在のイラン地域)で、マニが創始した宗教。といった程度のことしか言えない。おそらくほとんどの方は、同様なのではないだろうか?

ということで、本書は、日本でほとんど知られていないのではないかと思われる「マニ教」の歴史について知ることが出来る貴重な一冊となっている。

マニ教の折衷主義が面白い

マニ教の開祖マニ(本書ではマーニーと表記している)は、ササン朝ペルシャの時代を生きた人物。ササン朝ペルシャに滅ぼされた、パルティア(アルサケス朝、安息)の王族の血を引く。

ササン朝ペルシャでは古来よりのゾロアスター教が幅を利かせていたが、マニは独自の解釈で折衷主義的な二元論を展開する。光(霊的)と闇(物質的)。偉大な父(ズルワーン)と、闇の王子(アフリマン、アングラ・マインユ)。一見するとゾロアスター教の善神アフラ・マズダーと、対立神アフリマンをなぞっただけのように思えるが、マニ教では、現生否定、物質や肉体への嫌悪を強く説く。

後発の宗教だけに、ゾロアスター教だけでなく、仏教やキリスト教、グノーシス主義等の要素を貪欲に取り込んでいる点が面白い。マニ教の教えの中にはアダムやイブ、イエスも登場するのだ。マニ教は異教徒への布教に当たっては、ローマ帝国支配地域では、キリスト教であるかのように見せかけ、アジア地域では仏教であるかのようにみせかけて布教に励んでいたのだかとか。なんとも胡散臭い話に聞こえるが、こうした折衷主義、柔軟性が世界各地で信徒を増やしていく原動力となっていたのであろう。

マニ教は古代ローマ帝国では大流行し、一時はキリスト教と拮抗するところまで栄えていたらしい。キリスト教が存在しなければ、ローマの国教はマニ教になっていたかも?という指摘はとても興味深かった。

現代にまで命脈を保ったゾロアスター教

本書では、マニ教と対比して描かれているのがゾロアスター教である。ゾロアスター教は、火を崇める「拝火教」という呼び名でも知られる。開祖はザラスシュトラ(いわゆる「ツァラトゥストラかく語りき」のツァラトゥストラだ)とされるが、その生没年は不明。Wikipediaを見ると「紀元前18世紀?~紀元前7世紀?」とあり、幅が広すぎる!本書では紀元前1200年頃の人物と推定している。

キュロス大王によって建国されたアケメネス朝ペルシアの国教となったことで、ゾロアスター教はペルシャ(現イラン)地域で隆盛を極める。ゾロアスター教の終末論、救済論はユダヤ教やキリスト教、更にはイスラム教にまで大きな影響を与えている。

マニ教とゾロアスター教の命運はどこで分かれたか?

中東地域では7世紀に入るとイスラム教が勃興し、既存の宗教を圧倒し駆逐してしまう。イスラム教はキリスト教にくらべると異教徒に対して寛容で、信仰の自由を許容していたが、長い歳月の間に、次第にゾロアスター教も、マニ教も中東地域では勢力を保てなくなっていく。

いずれの宗教も、中東地域以外での布教に活路を見出そうとしていたようだが、各地で宗教弾圧に遭い。マニ教に至っては15世紀頃を境に完全に姿を消したとされる。一方で、ゾロアスター教は民族宗教(民族のみの宗教。異教徒への布教を行わない)として残り、現在でもインド、イラン、パキスタンなどの一部地域に信徒が存在する。特にインド地域のゾロアスター教徒はパールシーと呼ばれ、タタ、ゴドレジなどの財閥一族を輩出している。

マニ教衰退の理由として、筆者はこう述べている。

本来折衷主義的であったところから、自由な翻訳と翻案が許されたため、あまりに複雑になりすぎたことが、衰退の要因の一つだったかもしれない。

仏教のように振舞ったり、キリスト教の一派であるかのように装った布教のスタイルは、弾圧へとつながったし、なんでも取り込んでしまえる反面、独自性が発揮しにくかったのではないかと本書では推測している。

次はゾロアスター教について調べてみる予定

今回、どうして唐突にマニ教の本を読もうと思ったのかというと、放送大学の『国際理解のために』という授業の中で、ゾロアスター教が大きな要素として取り上げられており、関連してマニ教についても興味を持った次第。

前述したように、ゾロアスター教はユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教にも多大な影響をもたらした宗教だったりする(ちょっと意外)。よって、今度はゾロアスター教関連の書籍にも手を伸ばしてみるつもり。

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