ビズショカ(ビジネスの書架)

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『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチのデビュー作

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ノーベル賞受賞作家の主著書

オリジナルのロシア語版は1984年に刊行。原題は『У ВОЙНЫ НЕ ЖЕНСКОЕ ЛИЦО』。最初の邦訳版は2008年に群像社から刊行されている。

2016年に岩波現代文庫版が登場。わたしが今回読んだのはこちらの版である。

筆者のスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ(Светла́на Алексие́вич)は1948年生まれの作家、ジャーナリスト。旧ソヴィエト出身で、現在の国籍はベラルーシ。2015年にノーベル文学賞を受賞している。『戦争は女の顔をしていない』は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの主要著作の一つである。

内容はこんな感じ

第二次世界大戦時のソヴィエト共和国では、多くの女性たちが最前線に動員された。歩兵、狙撃兵、衛生指導員、通信係、医師、看護婦、飛行士、高射砲兵。彼女たちの多くが志願兵だった。祖国を守るために銃を取った彼女たちだったが、戦後は一転して周囲からの迫害を受ける。未曽有の戦禍を生き延びた女性たち、500人以上へのインタビューを元にした「女の目で見た戦場」の姿とは。

女性が前線で戦ったソヴィエト

第二次大戦の最大の激戦地は、独ソ戦が行われた東部戦線である。その犠牲者の数は定かになっていないが軍属、民間人併せて3,000万人は下らないとされている。大戦前のソヴィエトではスターリンによる大粛清が行われ多くの有能な軍人が殺害された。また独ソ不可侵条約を過信していたスターリンは、ドイツへの備えを十分に行っていなかったために、戦争初期のソヴィエト軍は連戦連敗、後退を余儀なくされた。

このあたりの事情は、大木毅の『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』が判りやすいのでお勧め。いちおう感想リンクを貼っておこう。

以上のような前提を踏まえ、当時のソヴィエト軍は圧倒的な人材不足となっており、結果として、他国に類を見ない百万人規模での女性の兵員登用が行われた。女性の兵士と聞くとなんとなく、医療系や通信、輸送など後方勤務の兵科を想像しがちだが、第二次大戦時のソヴィエトではそんな余裕はなく、女性であろうとも容赦なく最前線に投入され銃を持った。

しかし、国家としてのソヴィエトは、戦後になって女性を前線に立たせたことを隠すようになる。勝利は国家とスターリンと共産党、そして男たちによるものであると。

更に「女が志願して銃を持つなんて普通じゃない」「あたしらの旦那とよろしくやっていたんだろう」と、周囲からの偏見の目が、戦争に出た女たちを追い詰める。迫害を受けた女たちはその口を重く閉ざすことになる。

戦争体験を残し伝えることの難しさ

本作の大部分は、兵士となった女性たちの体験談で占められているのだが、冒頭部分には、筆者であるスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの序文「人間は戦争よりずっと大きい」が寄せられている。ここには、戦争体験を聞き取り、後世に伝えていくことの難しさがつぶさに記されている。

回顧とは、起きたことを、そしてあとかたもなく消えた現実を冷静に語り直すということではなく、時間を戻して、過去を新たに生みなおすこと。語る人たちは、、同時に創造し、自分の人生を「書いて」いる。「書き加え」たり「書き直し」たりもする。そこを注意しなければならない。

岩波現代文庫版『戦争は女の顔をしていない』p6より

戦時から既に数十年の歳月が経過している。記憶は風化するだろうし、それまでの人生体験によって、現在の本人の立場によっても話す内容は変わってくるだろう。そして、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの筆を経ることで彼女の解釈が入り込む余地が出てくるし、さらにわれわれ読者が「読む」ことによって更に新たな理解がなされる。

それは、当初に起きた事象にどれだけ近しいものであったのか、それとも遠く隔たった似て非なる事象となってしまっているのではないか。そんなリスクが戦争体験を残し伝えることには常につきまとうのだ。

筆者はひとつひとつのインタビューに時間をかける。出来る限り男性の同席を避けてもらい、リラックスできる環境で繰り返し辛抱強く質問を投げかける。

本作で語られるエピソードはいずれも極めて私的なものである。そこには国家や軍、民族、思想といった大きな主語は登場しない。綴られていくのはあくまでも「わたし」の話ばかりである。本書の価値はそこにあるのだと思う。

奇跡のコミカライズ版『戦争は女の顔をしていない』

『戦争は女の顔をしていない』にはコミカライズ版が存在する。現在第二巻までが刊行されている。

刊行当時、この話をマンガに??どうやって??と疑問しかなかった。

本作はインタビュー主体で、登場人物は膨大な数にのぼり、特定の主人公がいるわけでもない。歴史的な事象を描くことになるから、考証や資料集めも大変な手間になる。だいたい、筆者の許諾がよくぞ取れたものである。

しかしながら、いざ刊行されたコミカライズ版を手に取ってみるとこれが実によく出来ているのである。専門家の考証をつけたうえでのエピソードの取捨選択、再構成が見事なのだ。小梅けいとの絵柄が可愛すぎるきらいはあるにしても、現代の読者に手に取ってもらうためには、これくらいのタッチの方が適切なのかもしれない。

原作のストック的にはまだまだ続きが書けそうなので、今後の続巻にも期待したいところである。