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『「感動」禁止!―「涙」を消費する人びと』八柏龍紀 「感動をありがとう!」でいいのかな?

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「感動」を消費するわたしたち

2006年刊行。筆者の八柏龍紀(やがしわたつのり)は1953年生まれ。慶応卒で、教員、予備校講師などのキャリアを経て、著述、評論等の活動をされている方。その他の著作に2016年の双葉社『日本人が知らない「天皇と生前退位」』などがある。

60年代の団塊世代から始まる大量消費の時代。日本人が消費してきたのはモノだけでない。感動すらも貪欲に追い求め貪るように消費し続けてきたのではないか、という問いかけの書。

この書籍から得られること

  • 感動をありがとう!という言葉の中にある居心地の悪さの理由がわかる
  • 日本人の「感動」体質について知ることが出来る

おススメ度、こんな方に読んでいただきたい!

おすすめ度:★★★(最大★5つ)

「感動をありがとう!」という言葉に違和感を禁じえない人、感動を他者に求める昨今の風潮にもどかしさを覚えている方、「感動」を押し売りされるのは勘弁だなと思っている方に一度読んでいただきたい。

内容はこんな感じ

オリンピック、ワールドカップ、冬ソナ、セカチュー、電車男。今の時代は「感動」に席巻されている。だがしかし待って欲しい。みんなで同じモノを見て、感動をありがとう!勇気をもらいました!と口々に叫ぶ姿には違和感を感じないか。大量生産される「感動」を安易に追い求める風潮はいかにして生まれたのか。日本人社会の変遷を「消費」をキーワードに読み解く。

目次

本書の構成は以下の通り。

  • 第1章 「感動」は奪われた―かくて「祭り」は消費された
  • 第2章 「感動」は量産される―「個性」は消費物である
  • 第3章 「感動」を買ったオンナは、しあわせか?―フェミニズムと消費の恋愛関係
  • 第4章 残された「感動」の居場所―高度消費社会の「祭り」と「場」
  • 第5章 感心できない「感動させてくれ病」―「不満」を消費する人びと

感動は外から与えられるものではない

本来感動とは外から与えられるものではなく、自身の裡から発生すべきモノだった。しかし最近ではドラマやスポーツイベントに対して「さあ感動させてくれ!」と受け身になって待ちかまえている人々が多い。それって実は恥ずべきことなんじゃないのって、筆者は説くわけだ。

確かに、浅田次郎の本を買ってきて「よっしゃ泣くぜ」と気合い入れて読んでみたり、毎週のように贔屓チームの応援にサッカースタジアムに駆け付けている身としては少々身につまされる内容だった。

問題提起は良いのだが

でも、日本人の消費行動が変化してきているのは判るのだが、それを感動を追い求める風潮と結びつけてしまうのはさすがに性急に過ぎると思うのである。日本人が感動好きなのは今も昔も変わらないのではないだろうか。大勢でうわんうわん泣いている風潮が、この筆者的に気にくわないのはよく分かったけど、この人だったら高度成長期でも同じ考えを持ちそうだ。問題提起そのものは良いのだが、論が深まらずに終わってしまったのは残念。

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